バフェットと金融機関は敗北を待ち侘びている Bitcoinと世界経済の正しい認識

色々と外部世界に亀裂がhttps://bit.ly/2SKE3Hy入ってきた。
自分で自分を褒めるとするならファーストペンギンとしての役割は果たせていることだろうか。
実に上手く行っている。
まず序盤は経済学の権威が長年の研究から指摘している内容と、サトシの見解に共通点があるということだろう。
その名前は岩井克人さんだが非常にサトシと共通の解答を持っていると言うか、取り敢えず共通点を抜き出してみよう。
まずマクロの統計とミクロの需給関係は一致しないといけないが、この部分で経済学は科学的ではないと思われている。
貨幣の価値はどうして決まっていて、認められていて、みんなが欲しがるのか、そして価値基準になりうるのかという論点でも疑問点が似ている。
古代の哲学者から、ダビデ王、マルクス経済学、ケインズ経済学、フリードマンから新古典派経済学、ピケティ、アダム・スミス、古典派経済学を比較しながらもまだ解答を得ていない経済学の未来について語っている点は先見の明があるといえる。
経済学を1つのモデルとして期待通りに、または計画通りに、そして自由に行ったら需給関係で価格が決まると思うところまで人間を信用してよいのかという点に問題がある。
不均衡の動学という単語を用いて研究したらしいが、経済成長率を計算してもその期待はノイズによって裏切られる。
経済学者が試算をしても政治家の人気や世相によって変更になるし、役人の世界では利権や天下りの理屈が優先されるし、個人投資家、労働者、一般家計、消費経済となると流行、商品価値、人気、洗脳、個人的な事情などと交わっているから1つの答えはない。
もし経済学にもっとも近い解答を持ってくるとしたら、人々の意識を一変させるイノベーションであろう。
この革新的な事実は人々を虜にしてしまって、あらゆる垣根を取り払って夢中になるからだ。
経済学を理屈で捉えるのは無理があるが、では経済的に成功している人たちは会社、家庭、またはベッドの中で思いついた発想だけでお金を稼いで成功している。
経済学者は理論的には正しいけども、実際の経済的なビジネス社会では成功していない。
この際、経済学を政府が全体的な意味で施す公共工事、財政政策、国際的な協調介入、貿易不均衡の是正、外貨準備高を強制的に操作、そして国債を買わせたり、関税を取り立てたり、新技術を制限したり、原材料よりも割高な価格で販売したりと、その理論的な経済学や政策的な経済学では太刀打ちできないミクロ世界の裏事情が加味されるのである。
その影響に大きく響くのが家計、消費、労働、賃金、子育て、老後といったキーワードだろうか。
行政、会社組織、取引先、マーケティングの中で人々は経済的に取り決められたルールのに沿って生活をしているので、どうしても談合、賄賂、不正といった手法を通じて計画経済を妨害したり、雇用、就労、職場、仕事、誰が、どこで、何をするかを操作してしまうのだ。
数量的な経済学で見るよりも人間的な経済活動で見た方が、マクロとミクロの需給は一致点をもって証明されるだろう。
一般均衡理論に対して不均衡動学を唱えて研究し、さらに新古典派経済学で占められる経済学界においてアンチを唱えてきたのは素晴らしい功績だ。
熱力学第二法則と同じように物事は纏まっていないのであり、乱雑になっている状態を収束するような考え方が正しいのである。
人口が増えても、新しい産業が出来ても、法律が変わっても、テロが起きても、新しい学問や発見が起きるたびに世界は散らかっているのだ。
自動的に纏まって整列することはないし、人為的に操作することも難しいのである。
自由に経済を放置していたら格差が広がってしまい、その格差がモノを売れなくしてしまった。
お金がある人達が購入をしても100個も1000個も買わないし、適度に分配して、適度に儲かる人が居た方が経済効率は高いのだ。
ということで物理学、経済学、社会科学、政治学の研究者が何を言っても現実感は乏しく、実際は集中したら適度に分散してランダム性を重視しないといけない。
マクロとミクロの食い違いが起こることを課題として掲げて、その差異を埋めるための施策をすることが正しい。
差異があるのに計画は不均衡になるのは当然であり、元の計画にも欠陥があるのだ。
仮にコロナウィルスの時に起きたような政官財と民間で同時にロックダウンを求めても、結果的には緩和をするタイミングを決めたり、基準を設けないと何のために休業や閉鎖をしているのか分からないし、休業補償の内容もガイドラインを示す必要があるし、内外でトラブルになるような依怙贔屓があっても物事は進展しない。
誰もが納得がいくような施策は出来ないが、それくらいなら良いという基準はある。
税金という財政の一部が誰かに与えられて儲けすぎてもダメだし、生活を脅かすような支給でもダメだ。
中央集権的に知識がないのに細かいところまで指摘するのは難しいし、かといって末端の言いなりでは全体的なバランスが崩壊する。
この問題を解くには人間の達成感を利用するのが良いだろう。
お金持ち、成功者、意思決定権のある人、または組織的な意思決定権において彼らは物事が成功することの方に意義を感じるだろう。
成功をしても褒められない、貶される、クレームを付けられるような嫉妬で出来た社会観ではいけない。
中央と地方のようなエリートと末端と言い換えてもいいが、このような関係でも物事が明確に進展するには嫉妬が原因になることが多い。
嫉妬をノイズとしても良いし、その嫉妬が特異な集団の形成を促進する原因と見ても良い。
命令される側の受け取り方、命令をする側の成果からくるやり甲斐が一致点を見つけられないと物事は正しく機能をしない。
新古典派の経済学が尊重されていたことで労働者が格安になってしまったが、その一方で良い面もあった。
ブラックな体質であった国家の人たちと交流ができたので、優秀な人材を確保できたことだ。
貧乏な国、紛争地帯の国、環境が厳しい国、産業がない国、資源を安く売っている国、宗教戦争がある国、歴史的に虐殺があった国などなど、多くの問題を抱えている国からみたら何を言っても格差は埋まらない。
その格差を縮める方法が新古典派経済学だったが、新自由主義者たちは纏まっている世界観に風穴を開けて乱雑な世界観を生み出した。
実行する方はやり甲斐を求めているのにも関わらず、初心を忘れて邪な考え方をする。
受け取る側は邪心が芽生えて損をしていると思い込み、また隣の芝生は青いと勘違いを始める。
上記のような考え方は一律ではないから、各階層、それぞれの立場、または相対的な立ち位置でも食い違いが起こる。
経済学が今後どのように進展するのかと言うと、多世界解釈を導入することと、ランダム性を重視して基準というものが公平であることを示さないといけない。
ウォータープルーフが何故ダメなのかというと、上から、一方向から、資金の流れから、命令する側から、事情がよくわからない方角からといった社会的な事情を孕んでいるから人間が動けないのだ。
ERPも生産性が下がる原因を作ってしまったが、当初はそうなるとは思わなかった。
テレワークによって従業員たちが仕事をサボっていないかと管理の手を厳しくしようとして、逆に仕事をボン雑にしている日本企業の実態がある。
仕事をサボっているとは何を基準にしているのだろうか。
仕事が出来る人は監視されると嫌がるので、そんな程度の会社では働かない。
仕事が出来ない人間は監視、管理を通じて無能でも出来る仕事と解釈するから似たような人間が集まって会社を食い物にしてしまう。
最適なパターン、技術のレパートリー、テンプレートの種類、集中と分散のバランス、ランダムになるような仕組み、最も重要なのは公平になるようにどこで線引きをするかである。
こんな立派なことを書いているが、ゲームのガチャで大損をしてしまった。
その後に欲しいアイテムが取引所に並んでしまって、その資金を稼ぐために四苦八苦している。
後もうちょっとで貯まる。
世の中はこんなものである。
次にある予測も難しいし、馴れているはずなのに大抵の人たちは騙される。
騙される中でも2種類の方法がある。
相手側が用意したものに対して買う行為と、買わない行為の選択である。
安くてお得な商品だから買うべきなのに、何故か買わない。
ここまで緩和されているのかと思うこと、または欲しい物が違う、力を入れている分野が違う、そして諦めて次の緩和を待っている最中のときに選択肢が変わる。
それとも運営、または周囲のプレイヤー、次の展開の差異で物事の進展が変わるからとも言える。
どっちにしても後からだったら何とでも言えるのだ。
相手プレイヤーが居る場合は相場も変わるし、プレイ内容も大きく変わるし、勝負ごとはもっと変わる。
予測などは到底出来ない。
ただ間違った選択をしていても、どんなに愚かなことをしても前進していたらそれ相応な道筋は描かれる。
失敗しながらも成功へと1歩1歩近づいていくのだが、大抵の人たちは失敗に気づかずに認めないし、過去から習うこともしない。
機械学習と同じで経験値として学習をするだけだ。
本来はちょっとしたミスを拡大して学習し、パターンを作って違う分野にも広げるべきであるし、次の学習に対して効率的に取り組むことが必要である。
しかしそうはならない。
自分が失敗したから、他人も、社会も、例え身内でも失敗を促進する方向に社会は流れている。
これが見て見ぬ振りの一貫性である。
隣の芝生が青く見えることと、この見て見ぬ振りは逆説的に共通性がある。
嫉妬と不寛容さが混在した社会では不公平感が高まっている証拠であるが、その発端は情報の伝達が不足しているからだろう。
この混迷を認めたがらないのは行政が忙しい、人手不足、ノウハウの枯渇、パターンが旧式、意思決定が遅い、組織的な欠陥があると思われるが、その是正はさらに困難であるということだ。
要するにゲーム側はAIを設置していて、プレイヤー側がより課金をするように仕向けているし、さらにプレイが困難になるように設えてあるのだ。
プレイヤー側が意図する予測が外れるのは単純に言うと人数と掛け金、さらに消費した時間、難易度を設定して、それらに対するクレームの数によって修正をしているはずだ。
AIと人間の騙し合いはAIをさらに賢くするとともに、人間の知能、癖、習慣、希望的観測などを監視するようにもなっている。
ただ課金額、開始した年月日、プレイ時間、プレイ内容、親密度、攻略した数、難易度、レベルなどを計算してアイテム獲得やギャンブル要素を設定していると思われるが、そこまで管理されると鬱陶しいとは思う。
人間が活躍を出来る要素が少ないからだ。
ギャンブルにしてもラッキーさというものがまったくないと、ただ単にやらされている感が強いのも確かである。
時には嫉妬、隣の芝生は青いも必要な時があるということだ。
見て見ぬ振りも執拗に干渉されるよりは良いときもあるので、一概に悪いこととは言えない。
要するに分散した形で個人的には嫉妬や見て見ぬ振りは許容されるが、組織的、社会的、ルール的に嫉妬や見て見ぬ振りが横行すると地域社会は混乱を招く。
量子力学的に見て物理法則とは情報の結果であるから、マクロとミクロの需給関係やバランスが計算して合わないことは絶対にない。
計算が合わない時は予期しないところで不幸なことが起きているか、これから起こるかである。
環境破壊がもたらす未来社会では必ず天変地異が起こるし、経済的には格差が生まれてテロや犯罪が凶悪化するということだ。
経済学という1つの視点では国家レベルでの統計でしか物事を見ないので、実際の運営方法、手渡される資金、分配する時のルール、実際の経済活動までは分からない。
さらに見えざる手が存在して不均衡を是正するということが起こりうる以前の問題として、見えざる壁があることを知るべきだ。
それが格差を生み出す要因である。
法律的な恩恵、職業的な境界線、居住する場所、閉鎖的な環境、差別的な社会が見えざる壁として聳えていることを忘れてはいけない。
見えざる手とは需給関係の中で正しく機能をするとは限らないので、分かりやすく言うと搾取として働く。
生かさず殺さずに煮て焼いて食いながら、その残骸までもリサイクルして利用するものと考えて良い。
これがERPやウォータープルーフでの発想であり、物事の解決方法である。
中央集権国家としての官僚の役割もこれである。
一人の人間がどんなに研究をして頑張ってみたところで、多くの事象を経験することはないから抜けが多い。
もし多くのことを経験して知ることを体験できたら、それは通常の方法ではない。
潜入捜査、スパイ活動、非合法な活動、全産業支配といった超越した活動である必要がある。
話は変わるが、子供の頃にクラス替え、学級が変わるたびに教室も変わり、卒業をするとまったく違うところで学ぶことになる。
この移動の際に起こる変化に対応ができなくて脱落をする生徒もいるし、その経験が大人になってから変化を嫌うトラウマになっていないだろうか。
卒業をすることは前進を意味しているのにも関わらず、移動、変化、変動、異動、移転、引っ越しはいけないようなニュアンスで伝わっているのだ。
過密化する都市整備は無駄な労力と資源を使い果たしてまで、経済効率を高めているつもりで破綻していることに気づいていない。
テレワークで続々と喜びの声が上がっていることと、サイボウズのような一時ダメだった企業で再編が叫ばれている中でも業態を変えないと気づけなかった次第だ。
ソフトウェア開発をしている企業でもテレワークが分からず、徹底して働きやすさを求めていたのに導入が遅れていたのだ。
サトシはミセス・ワタナベの支配者であるがグループ内の人間に会ったことは一度もない。
孫正義とは長い付き合いだけど、別に会いたいとも思わない。
そもそも関係者と直接的に会うと、とんでもない長い話に発展するだろう。
会わなかったら話すこともない。
そんな無駄なことをしていたら時間が足りなくなる。
確かにゲームの設定を完全に監視されて管理されたら、遊びの要素が無くなるから面白くないかも知れない。
しかし一般社会において何でも自由にしてしまったら、民主主義を実行する際に自分の都合で民主主義を行使してしまう。
民主主義には制限がないから、自分が思ったことがすべてである。
ここで捻れが起こる。
自分の意見は言わない、発表もしない、特定を恐れる、名前を出さない、事実を述べない、話を誤魔化すといった民主主義が多いのではないか。
これでは民主主義は終わったと言っても過言ではない。
民主主義よりももっと優れたものがあったら、一体どうなるだろうか。
まあ今回の受け答えは多岐に渡っているから、サトシもちょっと書くのを躊躇してみた。
多くの人間の中でも一応は一流の人間の意見を纏めてみて、もちろん頭に入れてみての話だが、そこから起死回生の一打を放つには整合性を欠く恐れがあるからだ。
場当たり的では書く意味がないし、書いても落書きにもならない。
3手先を読んで全体像が見えるかどうかで図っているが、大局を見渡すには些細な物事に対しては変更を加えるべきだ。
ただ何回も変更を加えていると、その変化点も予測しないといけないから厄介だ。
民主主義が行き過ぎるとさっき示した内容のようになって、個人が誤魔化すことが頻繁に起こる。
これがデジタル的な監視社会だったら、命令的な義務から自主的な権利の行使だったら、仕事と生活が一体化していたら、組織と社会の中に個人の居場所があったら、意見を集計して正確に統計を取れたら、行政に民意が反映できたら、変化を即行動に移せる制度があったらどうだろうか。
その上で民主主義は機能していない民意となるので、もっと新しく刷新する必要がある。
もちろん中央集権化から官僚主義も機能していないので、さらに深化する必要がある。
進化ではなくてもっと深く掘り下げる必要がある。
厚生労働省の統計情報が間違っていること、交通事故の原因を発表していなかったこと、社会保険料も誤魔化していたこと、平均給与も間違っていたし、失業者の中に非正規は含まれていないのである。
自分たちの利権や天下りをしたいがために間違ったガイドラインを敷いて、すべての企業の労務管理について指導をしていることは否めない。
彼らが行っているガイドラインは全てにおいて間違っている。
中央と地方の関係にただならぬ齟齬があるのだが、地方の方が間違っているのは正しい認識である。
ただ中央は不均衡の動学を知らなさ過ぎるということだ。
乱雑になっているのは中央集権化が上手に行っても、行かなくても起こるのである。
逆に考えるともしも地方が纏まっている状態で、中央の言うことを何でもはい!と言って従う場合、今度は中央が腐敗するのである。
乱雑さは物事を変化させるスパイスだ。
纏まっているとは滅びる前兆だ。
落ち着いている状態と散らかっている状態は不変であって、操作することは可能でも関係性を断つことは出来ない。
今もテレワークの弊害をTVで放送しているが、オンラインでコミュニケーションをとる事に馴れたら問題はない。
やがて人間はオンラインに特化して進化の過程を辿るから、人間はロボットと共存する。
つまりはAIと人類は戦争をしないで融合するのである。
人間は生身の体をフュージョン出来ないが、外科手術、または精神的な問題のクリア、さらに脳外科手術を経てサイボーグ化するであろう。
それでも死の支配から免れることは出来ない。
身体は生きていても脳は死ぬ。
脳をそのまま記録として残す技術が開発されるだろう。
お墓はなくなってオンライン上でゴースト脳みそを設置して、いつまでも会話が可能になるだろう。
人は死んでも記録は残ることになる。
記録は生きているのか、死んでいるのか、どちらだろう。
さて経済学者の中でも不均衡を研究していた人たちと、サトシは馬が合うようなので長々と書いてみたが、随分と話が逸れた。
今回のBlog内容はBitcoinETFを阻む存在が明確になったことと、再度、仮想通貨の特徴を述べようと思う。
率直に言うとウォーレン・バフェット氏が、今回のコロナウィルスの影響で5.4兆円の赤字になったという事実がある。
その件で仮想通貨コミュニティからリーダーたちが口々にバフェット氏への不平不満を述べているが、彼はBitcoinへの投資を制限している張本人だから仕方がない。
JPモルガンゴールドマン・サックスが顧客からBitcoinポートフォリオに加えたいと申し入れた時に際して、強制的に購入ができないようにしていた事実が浮かび上がってきたのである。
これはそういう訴えが数多く上がっていることから、Bitcoin並びに仮想通貨への妨害行為として糾弾される内容である。
そこでBitcoinとは希少性が高い商品であることを示して、さらに参加することで手数料が貰えることも示したい。
ただし電気代が掛かることと、高性能なパソコンが必要なので、ちょっとした事業レベルの準備が必要である。
ただこの部分をクリアできたら成功報酬としては、相当量のBitcoinが手に入るだろう。
Bitcoinとは純金の価格上昇のようでもあり、その土台の部分を設えているのはユーザー、またはマイナーである。
企業がサーバーを作っているのではないし、金融機関のようなシステムがある訳でもない。
仮想通貨コミュニティ内のシステムを利用して、誰でもアカウントさえ作れば参加できるのである。
貨幣とBitcoinと何が違うのだろうか。
金融機関、または中央銀行Bitcoinを貨幣ではないし、証券でもないといって金融商品に該当しないようにしている。
Bitcoinが目指しているのは証券化の中でも上場投信の方であり、1サトシが1億円になっても、逆に0.1円になっても売買が可能になる。
Bitcoinの利点は口座に必要な手数料が掛からないことだが、これも現金に替える場合は必要になる。
視点を変えると仮想通貨から仮想通貨への交換、支払い、送金であったらいくらでもライトニング取引を積極的にすることで無料になる。
買い物をしてもBitcoinで世界中で買い物が可能となる。
ショッピングをするのに加盟する必要がないし、国境も、政治も、国籍も、業種も関係なく取引が可能となる。
クレジットカードを複数枚用意して状況に合わせて使い分ける必要はないし、カードを持ち歩く必要もない。
これだけであると必要性を感じない、クレカでいい、銀行がないと困ると考える人が多いかも知れない。
Blockchainの有用性はこれまでにも述べたので割愛するとして、Bitcoinまたはデジタル通貨が流通すると何が変わるのか。
そこが肝心だ。
まず中央銀行制度は大きく変わるし、金融機関は淘汰されていくだろう。
銀行口座は無料で作られないし、預金に手数料を取られるし、引き出しにも多額の手数料を求められるだろう。
それと金融機関の数が多いことから過当競争が生まれていることと、そこで働く従業員の生産性についても言及されるものだ。
働く人が多い、競争過多、出店競争、設備は自前、クラウド開発に費用がかかる、顧客の預金管理にも費用がかかる。
いずれ貨幣はナマモノとして扱われるので、所有しているだけで損をしていくだろう。
ナマモノではないBitcoinは手数料が掛からない、保管料は無料、高い付加価値がある、純金やダイヤモンドのような希少性がある、世界中の境界線や垣根を取り払う利用方法がある。
ということで銀行という建物、ATM、システムそのものが現実の社会から不要になると、一般的な銀行員に給与を支払う必要がなくなるのである。
銀行そのものがデジタル通貨を発行して異なる通貨同士をライトニングさせるので、群雄割拠の状態がこれから始まるための準備期間中といえる。
そこで最初はBitcoinを持て囃していたが、自分たちでもデジタル通貨を発行できるとなって開き直ったと見ている。
中央銀行が制度があることでドルも、円も維持されているし、国家は国債を発行しているので償還が来たら現金で支払う。
貨幣を多く持っている人間にとってはBitcoinはどう映るのであろうか。
貨幣に関わっている人たちは仕事をBitcoinに奪われて、違う仕事を探さないといけない。
またはBitcoin関連で働く可能性は高いだろう。
お金持ち、投資家、企業の財務担当も貨幣をBitcoinに交換して保管するだけで、後はBlockchainの進み具合によって順次Bitcoinの利用方法を増やすだけで済む話である。
自動運転を成功させるにはBlockchainがもっともコストが安いインフラであり、製造部門のIoTもRPAにしてもBlockchainがコスト的に安いだろう。
BlockchainとBitcoinの関係は一体どこにビジネス的な要素があるのか。
分散化を極大化できる可能性を秘めているので、整頓や秩序ある経済社会にある一定の衝撃を与えられるところが秀逸である。
秩序ある経済社会は不均衡になっている部分と、不確実性の中で一喜一憂している状況とを掛け合わせて、非常に格差が増えているところで最悪な状況を迎えていることを知るべきだ。
格差は生まれないし、社会保障で補えるし、最低限の生活を補償されるべきなのに、そういった実態はないのが事実だ。
機会均等とは雇用だけではなく、退職する時も、部屋を借りる時も、社会契約をする時には機会損失が生まれている事実がある。
結婚、出産、引っ越し、進学、就職、定年、老後にしても機会は均等ではない。
マクロとミクロが掛け違いになっているのは不透明な部分があるからで、その部分をいつまで経っても修復できないのが実情である。
例えばモノを作って販売したという話では、単純な仕組みを集計して経済統計に出力されるだけだ。
果たして必要なコストと、必要な材料、必要な人材、約束された納期で必要な料を販売できたのか。
それとともに納期や品質を守れなかった時に、圧力がかかってしまって予算がオーバーする可能性も高い。
10人で働く現場を15人で働いて、さらに仕事を増やされて、時間も掛かるとなると人間関係も荒むし、職場がパワハラによって歪を起こす。
先にパワハラが存在していたから歪んだのかも知れないし、正しいコミュニケーションが取れなかったのだろう。
上記の内情はどこでもあることで、価値と現実が噛み合っていないとなる。
本来は500万円に設定されていた給与が、実は500万円の仕事をしていないと言うことだ。
それなのに500万円を報酬として貰っているし、中には800~1000万円も大した仕事をしていないのに貰っている。
数字の統計では作ったものと、売れたもの、賃金支払、消費の内訳となって算出されても、その内情はまったく噛み合っていないのが実情である。
仕事をしていない、仕事が出来ない、方法を間違っている、仕組みが古い、設計が間違っている、仕事を任せている担当者に原因があるといったパラドックスが実態である。
ベテランの正社員が仕事を出来るというのは、真っ赤なウソである。
上記の不都合をすべて覆い隠した状態で仕事が出来るという意味であり、人間関係も含めて土俵がいつも同じだから不具合が起こるのである。
使い古した仕事環境ではいつも同じ故障が起きるし、品質も劣化するし、いつも同じ人が同じ問題を抱えていて、今日も明日も10年後も同じ愚痴を吐いているのである
これでは問題を解決する意図がないことと、資源やコストの有効な使い方が出来ておらず、人的コストも無駄に使っていることになる。
そこで転職、異動、出向を頻繁にするためにも外国人労働者を導入しようとしたのであるが、日本だけは上手に行かなかった。
海外では一定レベルで上手く行っているが、大きなコストも招いた功罪はこれから支払っていくだろう。
それでも成功をしたから損益計算をしたら良いのに対して、日本は人材を確保しても職場が変わらないから生産性がまったく上がらなかったというオチである。
日本の生産性が低いのは外国人労働者の活用が著しく遅れたことと、派遣社員などの非正規を上手に活用せずに追い出したことが原因である。
機械でやる仕事に熟練もなにもない。
手作業を廃止して生産性を上げようとしたら、熟練工たちの不満が継承されて不文律に奉られたのである。
これを学者は捉えないのか、知らないふりをするのか、どちらかだろう。
学者が社会の発展について目を瞑っているから、その影響で学生が真実に目覚めない。
覚醒しようとする学生の芽を摘んでいるからだ。
本当に仕事が出来るとは仕組みを作り変えて、誰でも働けるように設定することである。
よく日本の金融機関がCOBOL技術者ばかりだったから、オープンソースで競い合ってきた技術者に追いつけずにクラウド開発で失敗を重ねたことが取り上げられてきた。
あとはソフトウェア関連の事業社が言われた通りに設計をしたにも関わらず市役所、私企業に人材を派遣しても支払いをしてくれず、また逆に訴えられてしまうという裁判が多々あった。
稀な例としてはエンジニア側が同僚の仕事を奪いたくないと言って、会社からの命令を拒否する場面もあった。
こういった事が日本で重ねってきたから生産性が落ちたのだが、日本には財務省と連携して経産省経由で産業のデジタル化を推進する方向ではまだ勝機はある。
今日本ではパチンコ屋が猛威を奮っているが、営業自粛に従わないことと、常連客が無くならないことで国や自治体と揉め事を起こしている。
これもう反社会勢力としてのレッテルを貼られて、命を助けられる権利はあっても自分で命を短くしていることに気づいていない。
アメリカでもロックダウンが解除されるが、貧困層は助からない可能性が高いだろう。
一般国民に清潔で居ること、不必要に他人と接触をしないこと、人口増大からの環境破壊にも気をつけることと、人口が増えると二酸化炭素も増えるし、ガソリンはいっぱい燃焼されるし、食料が足りなくなるのだが、これが徹底された暁には経済が優先されるはずだ。
その場合は貧困層の仕事はないし、不潔の中で命を縮めるし、病弱な場合は死期が早まるし、反社会的な活動をすると命が危険に晒される。
こういった世界観では仲間、または同じような人種からの攻撃を受けたり、または病気を移されて死亡するのである。
パチンコ依存症、ドラッグ愛好者、キッチンドリンカーとアメリカの違法な外国人労働者は同じようなものだ。
各国は国境の強化を進めており、違法な人種をシャットアウトするし、適切な人材との交流をオンラインで進めるだろう。
日本でも同じ傾向にあるが、どうして会話をするのに直接的に話す必要があるのだろうか。
直接相手と会って脅迫をすると契約内容が変わるのだろうか。
わざわざ時間や距離があるのに顔を合わせる必要はない。
時間の無駄である。
書いたもの、表現したもの、過去に何をしてきたかで判断するべきだ。
その中でも献身的になって自己犠牲を厭わない精神は、どこの世界でも尊ばれるだろう。
ところでサトシが集めたニュースの中に、アメリカ在住の中国系の劉兵(Liu Bing)助教授が殺害された。
コロナウィルスの研究をしていて感染経路や合併症を調べていたらしく、非常に重要な内容が明らかになるところだったらしい。
射殺した犯人は知り合いの中国人であり、自動車内で自殺をしたというのである。
これを受けたのか知らないが、トランプ大統領は中国の責任であると強調を強めているが、当の中国の方では証拠がないと突っぱねているようだ。
どうやら中国がコロナウィルスの件で責任を取ることで、逆に中国の面子は保たれた状態で貿易戦争に終止符が打たれると考えている。
5ちゃんねるとニコニコのひろゆきが最近になってブレイクしているのは、こんな自堕落な自分でも成功できたというような本を出版したからである。
どうして日本人はプロスポーツ選手のような働き方を好み、腕の良さを競うのだろうか。
その癖にタバコを吸うという矛盾である。
身体が資本ならば害があるタバコは命を縮めるだけだ。
パチンコ屋のようなところで遊戯をしたら死が早まるし、違法なギャンブルとして罰せられるべきだ。
どうしてギャンブルをしているのに威張っているのだろうか。
悪党の資金源を断つにはパチンコが良い。
とにかく無駄な努力をしても成功はしないので、努力をしていると言われても評価は上がらない。
成功する人は努力をしていないのに、きちんと成果を出せる。
爆笑問題の太田が完全敗北を喫しているのに、まだ言い訳をしている状態だ。
ナインティナインの岡村は隠れて何をしていたか分からないし、ラジオで言っていた内容は人身売買に近いことである。
お金を持っているタレントがちょっとでも人身売買を口にしたら、業者側は張り切って調達に出るだろう。
強引な方法で調達を試みて殺人事件が起きても不思議ではないし、未成年者や騙されて働かされる女性も出てくることを知っているはずだ。
総合的に判断するとBitcoinがデジタルな純金として認知されると、貨幣経済は崩壊して新しいデジタル社会に移行する。
デジタル社会では人間がサイボーグ化する時代であり、すべての処理がオンライン化して自動化される。
その仕組が分散化されると国家、行政、中央という権力に対して一般人が同等に対抗できるので、正々堂々と話し合いがされる。
その結果、命令されて悔しいこともないし、嫌々言うことを聞かされることもないし、冷静にお互いの様子を話し合えるチャンスが増えていくはずだ。
需要と供給については欲しいと思うことが先決であり、お金を出して買うメリットがあることが次にある。
欲しくないものは作れないから先に進まないし、停滞して立ち消えになると海外に立ち遅れて生活レベルが縮小する。
日本人は無駄な努力をしているのに比較して、後進国では無駄な努力はしていないので経済的に抜かれる可能性はあるだろう。
今ある問題点、ダメだった業種、立て直しを図る職場、衰退している産業のチャンス並べていくと、もう一度失敗したらすべてを破棄して新たなチャレンジをしないといけない。
破棄せずに変えることは出来ないし、相当な努力をする必要がある。
それだったら新しい人、新しい事業、新しいビジネスモデル、新しい発想で、すべてを新しく作り直した方が実際は成功するのである。
貯蓄に頼った人生は人の恨みを買って潰えるし、何をしても再起は出来ない。
Appleスティーブ・ジョブズが成功したのは負け犬だったからであり、徹底して叩かれて床に這い蹲ったからファンが増えて今の成功がある。
彼は酷評を受けたことでも伝説になっているが、結果的に些細な問題を論うよりも大局を見て計画的に戦略を遂行することが正しい方法である。
これだけ酷評を受けたBitcoinと仮想通貨は、今後の世界経済にとってゲームチェンジの要になるだろう。
https://bit.ly/2SKE3Hy