多数決型の民主主義を叫んで妨害する偽物のエリートたち 映画の悪役が正義を論じる矛盾

上手く行き過ぎて万々歳のサトシである。
サトシが世界の中心に居ることは周知の事実である。
頭の中で考えていることはまったく違うのだが、何故か周囲が逆の方向に動くから上手に行っている。
嫌いというのは嫌いであって、そこに思わせぶりはない。
しかし相手、またはその対向する人たちが、どう動くかまでは予測ができない。
結果論で見ると誰よりも早く問題を提起して周知していると、自ずと結果が出てくる事は間違いがない。
そんなつもりではなかったのに成功してしまった感が強いというのは、やっぱり才能なのか。
Amazonが指摘している社会的な課題を解決する処方箋的な発想は、周囲を巻き添えにして行き着くところまで行くのだろうか。
最終地点にまで辿り着いて黒幕が万事休すと判断したら、問題が逆流して功を奏する事はある。
その類にサトシは絡んでいる様子だ。
まさか!が起きてしまうのがサトシの今までの奇跡的な結果だ。
誰もが言っていない盲点にこそ真の解答があるので、そこを追求している。
論理的には何をやっても誰も動かないし、何も起こらないのは、そのアクションが間違っているからだ。
人間を指摘しても、物事をターゲットしても、過去をほじくり返しても問題が解決しないのは、どこかで綻びを修正しているからだ。
傷口を塞ごうとする行為が社会、組織、政治経済にはある。
液体金属のロボットなんかに打撃を加えてもダメージがないのと同じで、どんなに黒幕を叩いてもあっさりと跳ね返されてしまう。
何回でもチャレンジして立ち向かい、何度でも破壊してやったら突破口を開くことが出来るだろう。
1度やってみて成功しなかったからと言って、それは不可抗力である可能性が高いということだ。
相手も必死に防戦してくるので、そう簡単には覆せないのは当然である。
だから何をしたら意味が変わるのかと考えるべきだ。
いつも同じやり方で、同じところを攻めて、同じことの繰り返しをしても答えは見つからない。
分かりやすく言うと問題解決のシナリオにはパターンがあって、解決したい部分というのは相手から見ると生死に関わる問題である場合が多い。
死活問題を突くわけだから、相手を殺す意味で攻撃しないと伝わらない。
法律やルールを作った時点で身を守るのに十分な防御壁が完成しているから、ちょっとやそっとの攻撃は跳ね返してしまう。
戦後にできた日本国憲法と民主主義を覆すことが戦いの一環であるが、そこに行き着くまでに必要なことが他にあるという意味になる。
相手を知ることで攻略方法が分かるから、当然相手も気付かない盲点があるということだ。
相手も気付かない何かを解決しないと、こちらの指摘は受け入れられない。
人間は予測をしながら次の行動を考えているが、一般的な人たちはちょっと予測しているのに対して過剰な人間は被害妄想が激しい。
ちょっと予測しているスマートな人たちは正々堂々と振る舞っているが、あまりにも考えすぎるおバカは相手の意図に気づけ無い。
この違いが大きいと予測を外れたアクションに出るので、常識的な行動予測ができない。
予測できる範疇のアクションとは盲点を突いて、多くの人たちが気づいていない部分へピンポイントに働きかけることだ。
あらゆる関係者がここ!と思える場所を示して、そこに誘導しようとしている感じである。
その予測の範疇は信頼関係もさることながら、公私を混同せずに自分が損をすることでも厭わない精神が必要である。
しかしそのような無私の精神は人生を好転させてしまうもので、一部の人達は非難しても多くの人たちは薄っすらと気づいているものである。
その薄っすらと気づいているけども表面上はよく分からない処置を発想して、誰もが気付かないうちに集中できるように誘導できたら上手くいく。
今のサトシは国家安全保障を基本として世界中の経済モデルを転換するゲームチェンジ側にいるが、もうすぐ希望が叶うところまで漕ぎ着けている。
希望が叶うと言ってもまだまだ先の希望もあるので、持続可能性の高い希望をゲームチェンジしていくだろう。
人間社会も、自然環境も常に変化の中にあるので、その変化をゲームチェンジとして経済社会に組み込むことが正しい行いである。
自然環境が危機に瀕している最中に強行突破をしたら、それこそ人類は自然の驚異に対して無謀な振る舞いをしていることになるからだ。
その変化点をどうやって政治経済、労働、消費生活に絡めて徐々に変化と付き合っていくかだろう。
変化に気付かない人、変化に対応しない人、変化を受け入れない人、変化を拒絶する人、変化を知らないふりをする人、変化に対して怒りをぶちまける人が実に多くいるのである。
有識者たちが心掛けることは成功したら良いと達観することだが、そのためには犠牲の精神を厭わないことである。
言論人のインフルエンサーとしての役割が会社に居座る管理職と同じであっては、その高い報酬や社会の役割を考えたら立場がなくなる。
立場が高い人達は社会の壁を超えたところで役に立つためのアクションを心掛けると、失敗しても、成功しても、何もしなくても、次の仕事を与えられて悠々と時代の変化に対応できる人材であると認知される。
勝った方も、負けた方も、どっちでもない人も参加して変化に組み込まれることで機能を果たしていることになる。
社会的な機能を果たすことで人は報酬を手に入れる権利を得るし、その権利は次の機能を果たす原動力の1部になる。
サトシの仕事内容を自分で評価すると、どうしても餌が必要になる。
弱点を補強して負けないぞ!と意気込んでいる連中の欠点を見つけないといけないが、その原動力がどこにあるのか分からない。
変化点に対して拒否をしている人間とは、一体なんだろうか。
初心を忘れてしまって地位を譲らない人間である。
あの人は今何をしているのかと問われて、成功を引き摺って生きられる人もまた少ない。
ほとんどの人たちが老後には働けなくなって低収入になるから、生活が逼迫してしまうことを恐れて一致団結するのである。
このパワーは40代を超えたあたりで強くなって、徐々に若気の至りといった雰囲気から遠ざかっていく。
若い時は良い大人になろうと切磋琢磨するが、大人になると先の不安が人間性を変えてしまう。
老後の不安から始まって、先の不安が頭を占めていく過程で人間性が邪に変わってしまう。
老人が良い人でいる限り人間社会は進化の過程を辿って、常に大きな経済成長を遂げるだろう。
そういう発想を妨害してしまうのも、人間を諦めてしまった人たちが妨害をしているのである。
サトシは国家安全保障レベルの人材と交流をしているから分かるが、地位が高い人間のちょっとした一言で人生は大きく変わることがある。
本当に簡単に人間の一生は崩壊するし、その命令を下した人間は他人の痛みなどまったく知りもしない。
それがバレているということを相手に教えてやることが、もっとも大事な行いである。
派遣会社でいうと取引先の言いなりになっている役員がいたら、それこそ派遣会社では働けなくなって窓際に追いやられる。
それは派遣先との不正な取引だから国家権力からお叱りを受けて、その派遣会社そのものが危機に陥る。
そして働いても良いという人材は集まらないから、どんどんコストを上回ってしまう。
経営を逼迫させている原因が良い人ぶって会社に大損害を与え、働く人達を裏切り、自分自身に嘘を吐いているのである。
このような環境にあってもまったく気付かないのは、組織的に腐敗している証拠である。
既に終わった人間に仕事を与えるのは不可能であるから、根こそぎ削ぎ落として廃棄する必要がある。
仲間や組織に損害を与える人間は、誰であろうが斬り捨てる必要がある。
そしてダメな人間として晒し者にして、その一生を誹謗中傷するべきだ。
それが彼らの仕事になるので、実に良い取り計らいだ。
ダメな人間を再利用してエンジニアリングする取り組みと言ったところだ。
サトシは情報機関の手先となって警察権力、国家権力が立ち入れなかった場所へ潜入してすべてを報告してきた。
その過程でBitcoinによるBlockchainを利用したサイバーデジタル社会の実装を提案してきたが、その実績がやっと花開く段階に近づいてきた。
紆余曲折を経て離合集散を繰り返す中で、サトシは上手に世論を代表するインフルエンサーたちを纏めてきたと自負している。
サトシはインフルエンサーたちを纏める超インフルエンサーであり、サトシの奇跡的なコメントはどこに波及するかは分からない。
神のみぞ知る奇跡のネットワーク人材たちとの交流は、この世界に奇跡を起こすことは間違いがないのだ。
良くも悪くも仕事はあるので、その影響力に応じた働きをすると物事がうまく運ぶ。
誰もが良い人になりたい、汚れ仕事は嫌だ、楽でキレイで人に好かれて、さらに喝采を受けたいと希望することは叶わない願いだ。
儚い夢を捨てることで仕事はいくらでもあるし、善と悪の狭間が織りなす彩りの中で千差万別を繰り返して膨らんでいく。
1つの型の中に仕事、人生、生活を取り込むと、点の中で藻掻き苦しむことになる。
やってほしいのは悪の役柄だ。
誰もが同じ役割をしていると仕事が捗らないし、何も前に進まない。
それが一点だけ視点を変えることで、前方に光がパっと差したように明るくなることがある。
役割を分担するとは分業の経済学であるが、量子力学的に考えると曖昧な役割が存在することを思うことである。
0と1の考え方では途中のシナリオを飛ばしてしまって、成否だけで判断してしまう。
しかし物事には良いのか、悪いのか分からない部分が非常に多く、その穴埋めをしている人間が多くいる。
もちろん善は悪が存在することで善と悪が証明されるので、悪を演じる人間も必要である。
その役割分担を適切に配置するには、曖昧な物事に携わる人材が必要になる。
その関係式が職場や社会に蔓延すると幅広い役割が与えられるし、仕事の細部にまで目が行き届くのである。
TVを追われて仕事がなくなっても、TVに出られなかった有名人としてダメなレッテルを貼ったら希少価値があるだろう。
TVから追い出された宮迫は、その後CMに出たけど話題にもなっていない。
もう売れないタレントなのに図太く生き残ろうとしている芸人として、その地位を認めてやったら社会は明るくなるだろう。
この図式が分かると失業対策にもなるし、量子力学が幅広く認知されるし、政治経済と世界貿易の関係の中で通貨の役割を検討するタイミングに入るだろう。
実際に内閣府では図式の通りサーバー世界で生きるためのデジタル人間開発と、そのデジタル環境を築こうと計画をしている。
脳に電極を差し込む計画が成功すると、人間には欠点が無くなる。
欠陥が無くなると言っても良い。
身体障害者、軽度の知的障害者には朗報だろうか。
脳を補強する仕組みや機能していない脳の部位を補う仕組みが出来たら、人間は人間であるのかと問うレベルの産業社会を迎える段階に来たのである。
脳に電極を差す手術を受けるだけで、誰もが超人になれる社会では今ある不満は消える。
ただ銀河鉄道999のような人間を狩る機械人間という図式はいけないので、ここを突破するには欠陥人間、貧困層を機械と融合することで元を取るといった循環経済に組み込むことが必須である。
コストに見合うレベルで人間を機械化すると、労働人口の増加を見込めるし、経済循環に合致したサイバー社会では人口増加が足枷にならない。
高齢化社会の問題点は年金支払、医療費、働けない身体、そして働かせてくれない社会や政治にある。
これをもし解除できたら老人たちはどう考え、どう行動し、どう反応するだろうか。
タンス預金のうち殆どの人たちが身を守るために始めただろうし、若い世代を苦しめようとは思っていないはずだ。
そこへ悪意があると断定してしまうと、あらゆる問題が片付かない。
敵視した関係の中ですべてが空回りをして、老人と若者というと満員電車での席の譲り合いからのトラブルが挙げられるだろう。
年齢を問われると意固地になるから、働く場所を提供したり、邪険に扱わないことで問題は起こらないはずだ。
その点については今後の超高齢化社会を問う上で、非常に重要な問題点になっていくだろう。
重箱の隅をつついても問題は解決できないのに、人間が悪いという反応は知性の無駄である。
知性を何に使うか、どこに知性を働かせるか、知性の労働生産性を育んで起死回生の一撃を放つ必要がある。
人間を問題視する前にまず自分を疑うことと、そこから発展して組織、社会、環境に目を向けるべきだ。
やることの意味が変わってきた時にすべての課題が変わる。
意味が違うとは時間が経過した、状態が変わった、嗜好が変わった、環境が変わった、価値観が変わったという事実があるのに対して変化に対応する知性が働かないのである。
変化に対応することに対してスピーディではないけど、非常に強い耐性で粘り強く達成してきているのに何故か働かない。
人間を疑う前に環境を疑うべきなのに、何故無駄なことをしているのか。
さっき書いたように老人が若者を拒否するのは、お金だけ欲しくて近づいてくる、仕事や雇用から老人を差別する、何でも汚い、臭い、鈍いと言って仲間に入れてくれないからだろう。
だからお金を渡せないし、最後まで居座る年配者が出てくるのだ。
若者、脳がとろい方、知識がない方、我慢が出来ない方、経験が足りない方が席を譲っておけば問題は起こらない。
それを人数が多いとか、少ないとかの理由で暗黙の了解で追い出してしまうから、老若男女で大きなトラブルが起こるのである。
人数が多い方が勝つ社会のために民主主義は出来たのではないから、ルールの悪用には刑事罰を与えるべきだ。
コロナウィルスによって人数を悪用して相手に威圧感を与えることはご法度となり、このために社会に有用な意見が出回るだろう。
893が大勢で行動をして一般人を威圧するから暴力団新法が出来たが、今度は一般人が寄ってたかって893をイジメだしたという笑えない話だ。
自業自得といえばそうだが、人間社会の暗黒面を垣間見るとはそういうことである。
誰かを助けても殺人鬼になる可能性がある。
恩に着るという発想が循環しないのは立場、力関係、自信、誇り、居場所、自尊心といった部分で反発を招くからだが、こういった心理的な反動部分を知っていながらしてやった、与えてやった、誰のお陰でとなるからそれが嫌で功を奏し無いと考えられる。
苛められている、重いものを運んでいる、過酷な労働をしている、賃金が安い、人には言えない問題を抱えているところで弱者を助けようとしても失敗するのは、その後の人生にまで言及できるパワーが無いからだ。
助けても藪蛇になるなら、それは助けていないことになる。
逆に迷惑ということだ。
岡本行夫が亡くなった。
良い人だったし、能力も、人間的にも素晴らしい知見を有していたが、間違った見解を持っていたことで人生を縮めた。
石油利権に凝り固まっているアメリカの旧支配者たちと結託して、日本を泥沼経済に巻き込んだ反省をした瞬間に気弱になって死亡した。
アメリカを元に戻したかった勢力というのは、戦後の利権屋である。
その利権屋が古き良き時代の復活は無理だと認めた瞬間に、コロナウィルスでご臨終になった。
志村けんも、岡江久美子も所詮はその成れの果てだ。
二人共、積極的に何かを訴えているように見えるが、その方向性は閉ざされた道であった。
自殺をする、病死をする、あの人は今が流行っていたのは、それだけ願いが叶わなかった人たちの儚い夢が潰えたことを物語っているのである。
今までも言及してきているのに、これに繋げたのは理由がある。
以前から学者が行動をするべきだと訴えていて、その時にモチベーションややる気はないと断言していることについて言及したかった。
やる気とモチベーションはないという発想は、一体どこから来るのか。
行動をする人というのは間違っている場合もあって、すべてが灰になたら矢吹ジョーみたいになる。
リングの上で試合後に灰になる訳だ。
その情熱は行動原理に繋がるもっとも身近な因果関係であるが、もし間違った感情ならどうなるだろうか。
それらがサトシの躍進に対する負の因果関係に繋がっているということを、日本国民は知るべきだ。
サトシに歯向かって先走った人間は死んでいく。
量子力学は宇宙の原理として間違った情報データを流した人間に対して、早急に死を与える。
嘘ニュースとは今ある嘘ではなくて、近い将来に書き換わる情報データを指している。
100年後ではないし、10年後でもない、今すぐにでも書き換わる情報データを今までは正解だったからだと強調されても困るのである。
あなたは未来を予測できますか。
そんなことは誰にも出来ない。
しかし国家安全保障の大幹部レベルになると、一般的な職員や旧人種と違って世の中の反対勢力、負の情報にも精通していくから予測はしないでも当たるのである。
当たるとは意味が違って作っているから当たるのである。
サトシは世界システムを作っている側だから、日本人にも警告しているし、世界中の人間に警告を発している。
やる気やモチベーションが正しく機能していることを調べないと、情熱だけでは物事は成功しない。
切羽詰まっている人間は良い人演技で素晴らしく目に映るが、実際はまったく違う人間なのである。
よく活躍したいたプロスポーツ選手、芸能人、著名人がぽっくりと死んでしまうことがあるのは、成功していないから死に急ぐのである。
成功したくて頑張っているのにお金が儲かっても、それは違う成功だから本人は必死になっているのである。
お金が目的で働いていない人間にとって、それは情熱の分だけ自分を昇華できるのだ。
やる気もモチベーションも問わないで社会で羽ばたくには、課題を掲げて突き進むことで正しいはずだ。
しかし負けると分かっていて突き進むのはどうだろうか。
もう使い古してしまったものは元に戻らないことを肝に銘じて、次のアクションを自分で考えるべきだ。
自分で考えて発信していると間違った時に方向転換が図れるが、他人からの受け入を吸収してしまうと必死になって良い人演技で自滅をするのである。
松本人志が催促なしで5年間返済を猶予する代わりに面白いやつを募集しているが、若手芸人を育成する計画のようだ。
面白いと思われたら抜擢されて資金提供されるのだが、需要と供給の関係が成立するのかは不透明である。
TVに出演できる枠は決まっているからだ。
タレントを育成して売れるようになるには、絶対的にダメな人間であることが望ましい。
ダメな奴なのに立派なことも出来るということが、ずっと後になって気づくという意外性に繋がると良い結果が出る。
後からの評価の方が絶対的に高いことを現代人は知らないが、その理由はカメラ写りを気にしたり、面接を合格しようとしたり、良い人のふりをする芸当が多いからで、表面上のキャラクターでは最後になってから不採用通知が送られてくるようなものだ。
変化を先取りして率先した主張をしているとよく思われるのは確かだが、その後の事実まで含まれていることに留意するべきだ。
一過性の出来事に成功しても後からしっぺ返しを受けるのは、実力が伴っていなかったからだろう。
人気、民主主義、ミーハー、行列ができるという見た目の評価は、後になってみないと判然としない問題を現時点では追求が出来ない。
その時は良かったけど、実際は熱にうなされていただけだったということだ。
人と違うことを発言して人気を得る裏で行われている場違いな現象は、人気という実質的な成果を出せない民主主義の負の部分を照らすことになるからだ。
民主主義は自己犠牲によって初めて成果を出す働きかけであり、人気を得るために働きかけた場合に瓦解することは歴史が証明している。
嫌われ者、人気がない、素人好み、多くの支持、底辺に好かれるとは逆に見たら玄人好み、プロに好かれる、偉い人に一目置かれる、少ないリソースで成果を出すといった結果を出せる人なはずだ。
民主主義が絶対的に正しいというセオリーは、一体どこから来るのか。
そして多数決の判定で不都合になったことはないのか。
何故不都合なのに多数決に重きを置くのか。
その是正措置はないのか。
発想を変えてみることで問題を解決できるはずなのに、その爆発力を持たないから何も始まらない。
人気を得た発言は功を奏し無い事が多い。
いつも失敗する人間は清潔感のある見た目、爽やかな喋り方、良い人に見えるに騙されて失敗をしているからだ。
就職の面接時に競争原理が働いて、どうやって面接官を騙せるかという問題に対峙してきたからそうなった。
試験の点数だけでは良い学校に進学できないから、イジメ、媚売り、悪口、事実と違う噂はなし、依怙贔屓が生まれたのである。
大阪の吉村知事が最初の時点でオウムの上祐と揶揄されていた件でも分かる通り、大きな勘違いをしているに過ぎない。
政府はもっと巨大な問題に携わっており、大阪府知事レベルの発想で政治を行っていない。
こういう知ったかぶりをしている連中は事実を知らないか、知っていてボケているのか、どちらかだろう。
問題点を絞り込んで相手を痛めつけると成功するが、後でひっくり返される。
巨大な地図を見ている人と、小さな地図を見て何でだろうと首を傾げている人間では心の大きさに違いがある。
小さな意見、規模の小さいコミュニティ、影響力のない事に執心しても何も始まらない。
結局はパチンコ屋から政治献金を持ち掛けられたとか、CMに出てくれとか、イメージキャラクターなってくれと頼まれているか、TVに出る人間にお小遣いを渡してパチンコ業界を擁護してくれと依頼している節がある。
有名人や著名人はパチンコ屋からお金を受け取っているし、芸能界と政界は人気取りの意味で繋がっている。
芸能界、パチンコ業界、マスゴミを敵に回しても選挙に勝てる政治家である必要がある。
不倶戴天の問題であるのにも関わらず、そこにあることが普遍とでも言いたいように物語るのは危険人物の設定をするべきだ。
これでは自殺者が一般人を巻き込んでの自殺テロが減らない訳で、TVでコメンテーターは良いことを言っても何も響かないのである。
パチンコのようなギャンブルで殺人が起きているのに、どうしてパチンコ屋を庇うのか。
ギャンブルとして取り締まって徹底的に叩き潰すことが正しいやり方であり、半島の政治経済を覆す絶好のチャンスだ。
これに異を唱えるものは、この世から消えるだろう。
ギャンブルに設定してどんどん税金をとったら良い。
タバコも、酒も、ガソリンも、ギャンブルも、風俗も、キャバクラもすべて税金を多く徴収して取り立てるべきだ。
普通の人たちはしない遊びだから、一般人から税金をいっぱい徴収するから選挙で勝てないのだ。
そして合法化した方が色んな意味で商売がしやすいし、いろんな業界から助けられるだろう。
デジタル化の波で賭博、風俗、タバコ、酒も新しい業態に移行しているからまったく違った方向に突き進むだろう。
自閉症のごとく狭いところに閉じ籠もっているのは、風俗業界、ギャンブル業界などのコロナウィルスを撒き散らす連中である。
糞の役にも立たない人間たちの中から芸能人が誕生して、勝手なワガママを論じている光景は人間の性だろうか。
芸能界のような悪党の吹き溜まりが犯罪者を擁護し、コロナウィルスを撒き散らし、選挙妨害をしている傍らで善良な市民がその毒牙に掛かっているのである。
こういった図式で物事を見ていくと、正しいことと間違っていることは常に移動していると言える。
変動の中に一致点を見つけても、それはほんの束の間の正義でしか無い。
恒久的に正しいことはないのだが、1つだけ一致することは常に変化の中にいることが正しいのである。
正しいことも間違ったこともない中に真実はあるので、変化を嫌うことは正しい時に間違っているし、間違っている時に正しいと判断することに繋がるのである。
こんな簡単なロジックはこの世界にないのにも関わらず、人気、ファン、好き嫌い、噂、民主主義のマジックに罹って人類は自分の首を絞めているのだ。
人類は連鎖反応を起こして全人類の首を絞めるだろう。
そこでFacebookでは脳が思考していることを読み取る実験をしているが、SNSで人々の意見が拡散され、趣味が合うサークルが出来上がり、その先にあるのが脳が考えていることを読み取ることだ。
そして内閣府が始めようとしていることはAIロボットと人間の共生であり、遠隔操作で人間とロボットを繋げる技術開発である。
しかし人間は1人しか居ないが、ロボットは1体ではない。
複数のロボットを1人の人間が遠隔操作するのは難しいので、アバターを利用するのである。
人間を模したAIを人間が承認して高度なセキュリティの中で仕事を完了する形態では、人間がいくつものアバターを着用して恰も複数の人間が動作しているように作動させることが可能である。
人間は着せか人形のようにして分身を作り、その分身がロボットを遠隔操作をすることでセキュリティを高める仕組みである。
現代社会のように誰が何をしたかが分かりにくいのでは、仕事は正しく完了しない。
責任を持って決まりきった人間が公明正大に真意を示すことが、何よりも重要である。
隠れてコソコソと不正を働いている人間には、真偽を示す事は不可能である。
芸能界を取り巻く不正だらけの俗人どもは、大きな勘違いをしているに過ぎない。
その勘違いをサトシが正す。
コロナウィルスにおける休業には補償が必要であるが、倒産してしまうようなお店や企業が存在していると新規に業界を立ち上げることが不可能となる。
田舎では自粛警察という厄介なものが溢れかえって、まったく違ったことを志している。
正社員として働くことに執心する愚か者と同じように、田舎暮らしに染まっている餓鬼は悪鬼のような形相で部外者に襲いかかる。
何かを守ろうとする意思は伝わるが、その行為が自分の首を絞めるのである。
人気がある人間と、村社会の中で威張り散らしているボス猿は似たような因子を持っていると言える。
もちろんその関係を勘違いして正しいと判断することも、彼らと同様な意識を持つものだ。
人間の正しい運用、配置、開発のご用命はサトシが司る。
検証していく前に、もっと大きな観点から述べる。
日本人は徐福という秦の始皇帝が遣わした重臣の子孫とされているが、徐福は優秀な部下たちを伴って倭国にやってきたのである。
清和源氏という名称も隠語になっており、清=秦、和=倭国、源氏は言うまでもなく天皇家や藤原家である。
物語の発端から見て蘇我入鹿は皇統を血統ではなくて、人気投票で決めようと考えていた可能性は高い。
いま巷では何故イギリスは清王朝をアヘン漬けにしたのに、日本に黒船でやってきて薩長を助けながら産業革命を興す手伝いまでしてやったのかと疑問が湧いている。
そのイギリス帝国に対して何故、国家社会主義者たちが破棄したとあるが判然としない事実となっている。
しかし多くの日本人たちは意味を履き違えているだろう。
それは間違いがない。
日本国憲法には人間としての矜持がない。
日本の戦後教育は実験の一端であって、大和民族の誇りを地に貶めただけだった。
民主主義といった意思決定権は世界的にも敗北し、日本の土地には馴染まなかった。
相手を肥やして耕してから強くなった敵を葬ることが、真に正しい戦い方であることを大和民族は現世に示すことが正しい道である。
他人が敵を理解するには自分の力で戦って平和を勝ち取ることであるが、その準備や礎を築いてくれたのが敵国だったことを知る時に初めて友情が芽生えるのである。
それを何も語らず知った被りをするマスゴミ、芸能人、地方政治や役人は生きている資格がないだろう。
真実を知った時に彼らは何を思うだろうか。
日本では恥の文化で彩られているが、彼らには恥を知る勇気はない。
得体のしれない巨大な操り人形のシステムの中でお金を投げ与えられ、有頂天になって飴に群がる蟻のように蠢く節操のない虫けらといったところか。
お金が欲しいだけなのにみんなの前ではご立派なことを言って、間違ったことを言い触らして歓心を買おうとしているだけだ。
徐福は残った子孫たちに遺言を残していったが、内容は秦のために戦うことだった。
確かに遺言通りに戦っているかも知れないが、まったく成果を出していない。
コロナウィルスは万能薬となって人間社会に変革を与えるから、その準備が整うまでは自粛が良いのである。
その自粛を良しとしないのは世界経済に対する冒涜であり、人々の暮らしを奈落の底に陥れる陰謀である。
ということで自粛警察が悪い面と、良い面は2通りあって、自粛は促進するべきだが私怨や悪戯は犯罪である。
そして経済的な発展を妨げることも不用意にしてはいけないが、悪戯目的で行政府に対して混乱を招くような運動をしてはいけない。
さらにベーシック・インカムの導入や高度な社会福祉の実現に向けて邁進している段階で、外野である地方政治やマスゴミが口を挟むことそのものに憤りを感じてならない。
今やるべきことは世界レベルでのワクチンの開発であり、世界貿易を含めた外国旅行、そして外国人労働者の扱い方である。
世界はブロック経済に向けて進んでいるが、果たして過去にあった間違いを再現するべきかどうかは甚だ疑問である。
また過去の間違いを繰り返すという識者の間違った見解は、世論に不安を撒き散らす愚行である。
これを総称して国家に対する反逆罪であり、彼らは物事の大志を知らない。
お金になるから反対運動に加担し、それを煽って威張り散らし、どれだけ自分が反対したかを武勇伝のように語って対価に変えるのである。
愚か者の愚行は利用されて正反対の使い道になるが、その時に反証をした罪で彼らにはペナルティが与えられる。
GAFAMicrosoftの資産価値は560兆円に上るが、Softbankがどれだけ借金をしても困ることはない。
日本のみずほ銀行レベルの話ではないし、現在の内訳では金融機関はIT企業には勝てないのである。
その孫正義は中国市場から能無しとの評価を得て居る中で、アリババの株を売ってはならないと厳命されている。
中国側の資産を海外に売却しているという判断になるから、本当にお金に困って売ったのかどうかも定かではない。
ここにきて現行の通貨制度に疑問を投げかける識者は多い。
ドルが崩壊を招くことはあり得るのだろうか。
あのバフェットでもドル信仰の信者であり、アメリカ経済は永遠に成長すると考えている。
多くのアメリカ人がドル信仰の犠牲者であるが、一人だけ違うのがジム・ロジャースだろうか。
彼は嫌われ者が好きだから中国を高く評価しているそうだが、果たしてどうなるだろうか。
バフェットが手放した航空株を買うと言っているし、一番の安値で買うことは再生の意味で正しいだろう。
わざわざ買って売ってを繰り返すのも情報が書き換わることで、その内容までも変化することに対して期待値が上がるからだ。
いつも同じ人から見た景色では物事はうまく行かない。
盲点が必ずあるからであり、CPUで成功しているIntelAMDにパソコン市場を明け渡すことで未来が開けるのだ。
そしてパソコン市場はスマホをパソコンのデスクトップ上でコントロールする方法があって、今はそっちの方向でスマホのパソコン化が始まるだろう。
現代のマーケティングでは世界を見つめて未来を語ることが必須の能力になっているが、その先にある説明を分かりやすく提供してくれたら良いのである。
未来を語り尽くすには先見の明をどこに置くかであるが、それが課題解決であることから問題点を見つけることと、その問題点を作り直す力が必要になる。
答えは用意されていないし、まだ見つかってもいない。
答えはいつも変動しているし、未来永劫において固定されることはない。
変化の中に人間は生きているのに答えが決まっていたら、人間は生きていないだろう。
ただ現代社会には疑問が起きていて、一神教の方が問題解決に取り組むスピードが早かったというオチがある。
あまりにも野ざらしになって分散し、その中で民主主義を声高に叫ぶと支離滅裂の中で暗中模索になっていくだろう。
嘘ニュースを事実に作り変える力が必要であって、事実が嘘に変わる瞬間はある。
嘘は嘘であったのに実は本当だったというのは、よくある真理である。
結果がすべて、運も実力の内である。
まだ誰も知らない事実は確かめようがないから、口に出して言葉にするだけで功績である。
米ロ、またはロ米でWW2からの誓いとして、過去に両軍が誓いあった平和への願いが今になって蘇っている。
トランプ大統領プーチン大統領による平和への願いは、リアルさを持って真実を追求するだろう。
中国は武漢によるコロナウィルス蔓延の罪を認めて、世界経済の中で協力を余儀なくされるだろう。
良い中国人と悪い中国人と、どちらが必要な人間だろうか。
どちらにも敗因はない状態で、未来のために話し合いで決着をつけることが正しい選択である。
Googleが糖尿病による眼病予防のAI化を進めた結果、環境への配慮を欠いてしまって実験が実を結ばなかったことが明らかとなっている。
撮影した場所、状況、データのとり方、最初のサンプルのクオリティが違ったら、いくら機械学習を重ねても違う土俵では役に立たないだろう。
その過ちを覆すにはCMOSイメージセンサーによる正確な位置取りと、データをとった環境を補正値として勘定する取り組みが必要である。
このことはGoogleが今後、ハードウェアメーカーの中でAIロボットを駆使して0から作業をする上で重要になる。
位置をどうやって決めるか。
これは人間でも出来なかったことである。
人間の認知能力を超えて正確に取り付けたり、その判断をするには失敗データを反映して成功と失敗の相関関係をAIに覚えさせることで解決するだろう。
AIロボットを大量生産と同じ発想で取り組むと、人間による無駄な生産と同じ過ちを繰り返すことになるだろう。
ソニーの躍進はCMOSイメージセンサーにあるが、Samsungにデバイス関連では敗北する可能性を踏まえていて、その先を読んで遅れて自動運転に参入してきた。
そのSONYPanasonicの違いはどこにあるのかということで、今は業界が騒然となっている次第だ。
Panasonicまでも家電を手放して総合家電の名前を変えてしまうのは、過去の偉大な経営者たちとの決別でもあろうか。
労働者が金の卵であった時代は終焉を迎える。
単純労働者に高い賃金を支払う必要がない。
次の時代では単純労働者の仕事はAIロボットに行き渡るからだ。
その過程で必要なことは単純労働者をテレワークから遠隔学習をさせて、その費用から、生活から、賃金補償までするべきだ。
その費用が高いならば行政がベーシック・インカムを持って支えるべきで、年金という悪い制度を廃止するべきだ。
段階的に必要な人と不要な人に分けて、少しずつ廃止に近づけることが正しい。
年金を要らない人には経済的、または名誉のどちらかを優遇して与えるべきである。
平均年齢が上昇しているので年金を必要とする人たちは、もっと高い年代が世代である。
若い世代は本当にお金がないから明日の食べるものもないのに、学ぶお金がある訳がない。
頭の悪い人間にも生きた授業が受けられるようにすることで、総合的な産業のための学力偏差値が上がるだろう。
学校の授業が固定されたカリキュラムによって続けられるならば、教師による授業は死んだ授業である。
テレワークによるAIが教える授業の足元にも及ばないだろうし、今後のシミュレーション技術では一人学習が流行るだろう。
それは検索をする行為とにているから、無料で学習をするたびに課金をするか、CMを閲覧してペイすることが望まれる。
企業が学習要領を依頼して、そのカスタマイズをWIKIのように育んでいくことでWorldwideな教育ノートが完成するであろう。
子供たちが、教育実習生が、研修生が自分たちで作り出すのテキストこそが、時代を切り開くもっとも最良な勉強方法である。
人に教えることで学びを確固たるものに出来るから、最初からその要素を用意することで大きな自信を育めるだろう。
アメリカの人種差別と日本のイジメや虐待は内容は異なるが、同じものと見て良いだろう。
分かり合えないならば同じ居場所にいないことが望ましいが、切り離すことは不可能である。
アメリカでは黒人たちの高い犯罪率に怒って、白人が黒人を射殺する行為が動画で紹介されている。
日本では自分たちの権利を守ろうとしてイジメをすることが多くあるが、その防止を出来ないのが実情である。
嫌がらせ、意図的に罠に嵌める、悪い人間ほど法律を守っている、人数を集めて悪巧みをしているといった具合に不正の温床になっている。
それもすべてが人間の信用から来ているが、その信用が口裏を合わせる様相なのだ。
戦後75年の中で平和憲法は形骸化し、命乞いをする人間たちで汚されてきた。
戦争をする憲法という時点で血迷った人間であることが否めず、いかに平和憲法をお金のなる木と勘違いして報酬を受け取ってきた守銭奴と認識している。
冷戦の意味も知らず、ユダヤ人虐殺の事件も知らず、人種差別や宗教戦争も遠いことと片付け、今ある繁栄を貪っていると認められた時点でもう終わりを告げている。
夢や希望ややる気が情熱と直結して、時代をひっくり返してやろうという原動力に繋がるのである。
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