半導体とAIの足を引っ張るパソコン 公務員と同じだ

NVIDIAがARMを買収したら逆にARMが終わるという考え方をする投資家、または半導体業界の専門家がいる。
要するにNVIDIAがARMの販売網を縮小してしまうので、結果的にARMの売上は落ちるだろうという。
常識的に今までの論拠で言えば、その通りである。
ARMは半導体を製造して販売している訳ではないので、半導体メーカーと競合する必要はないから不特定多数のメーカーに設計書を作っていた。
NVIDIAはCPUを作っているメーカーではないが、画像処理をする過程で順番を度外視して答えを算出できる。
映像の真贋を利用すること、1枚の画像を裏側まで推測できること、映像に写っている画像を物体として認識できる、ARと組み合わせるとシミュレーション用に教育に活用できるなどの多彩な用途がある。
サトシはずっと昔の話だが、モニターに映っているアイコンを自動でクリックできる方法を考えていた。
その時に考えたのが画像を認識して自動的にマウスを移動させる方法だったが、世界には同じ事を考えている人たちがいるものだと感じた。
それまでの主流は座標を記憶させておいて、延々と自動クリックさせる代物だった。
その後からアフィリエイト、オンラインゲームなどで研究開発が進み、やがて機械学習に始まってディープラーニングが全盛を迎えていったし、そこに脳科学者が出入りをしてニューロンを模した脳の模倣に過ぎないと弁明を繰り返した。
そこでAI関連が膠着状態になっていたのは、専門家がAIの精度を上げようとして顔認識に固執していたからである。
その意味は教師ありはAI専門家の間では邪道となったらしく、技術開発に必要なのは教師なしだと固定した考え方を持ったために遅れが目立った。
AI専門家はビジネスに直結するよりも自分たちの趣味を優先し、さらに独占して研究開発を進めたことが原因であった。
その後に研究所、専門家をテック企業が出迎えてビジネス側の技術者と協議をさせる話し合いの場が持たれた。
東大のAI研究者である松尾教授、または京大のiPS細胞を研究者も企業にヘッドハンティングされていった。
国立大学は政府が資金を投じているからといって任せていると研究が進まないので、お金を生み出す技術開発、研究者がビジネスで働く、あなたの企業を変えてしまう方法を模索していった。
顔認識に至っては犯罪者を識別するにしても間違うことがあることと、人権の上で難しいことが分かった。
BLMを機会にして顔認識は取り止めになったが、これは画像から映像へと変化する流れである。
その時にちょうどイージスアショアの配備が中止になったのは、レーダーに変わるものが画像から映像になったことで1つの節目になったと感じている。
日本のデジタルカメラメーカーが相次いで倒産リスクを抱えているのは経営体質の見直しをしなかった事もあるが、業界全体が画像から映像へと切り替わるタイミングであった。
半導体バイスを作れないデジタルカメラメーカーは、コピー機、スキャナー、保守サービスも含めて長らく日本の市場を独占していた。
イメージセンサーを独占的に製造しているSONYはEVを発売するまでになったが、Samsungも販売するようになる可能性は高い。
ただ条件があるはずだ。
文在寅韓国大統領が国際情勢を勘違いせずに中国を取るか、Samsungを取るかで迷わないことが肝心である。
中国経済Samsungが邪魔な存在になっているにも関わらず、ここで日中とアメリカの微妙な関係を軽視しては二兎を追うものは一兎も得ずの諺の通りの展開が見えてならない。
TOYOTA豊田章男とは別の動きを見せており、TOYOTAという自動車メーカーとその一業主義とも言うべきスタイルは変化を遂げていき、経営者個人と会社を切り離して投資会社としての側面も視野に入れるそうである。
街全体をデジタル化する計画はGoogleが取り組んでいる予想図と合致するプランであり、今後の人間社会を描く見取り図になるだろう。
冒頭のNVIDIAに話を戻す。
ここに書いたのは一例に過ぎないのに、これだけの映像技術を必要とする事業計画がある。
サトシが提案した中ではパソコンは消滅する以前にパーツの組み合わせが変わるべきだと指摘したが、要するにCPUが小さくないといけないのは分かるが、必要以上に小さくなるよりも機能や性能面で拡充する方が良いと考えている。
サトシが小さい方が良いと書いたら、何となく本末転倒のようなニュアンスになったと思う。
サイズが小さい、電力消費が少ない、熱が暴走しないというのもスマホなどの機能に置いてであって、パソコンやワークステーションに求められている性能とは違う。
したがってストレージ不要、CPU不要、マザーボード不要も悪いプランではない。
要するに既存のパソコンやスマホの主要なパーツを小さくするという試みよりも、もっと分かりやすい方法がある。
製造しやすいというコンセプトで組み立てるならば、1つずつのパーツを巨大化させてパーツ点数を減らす事も視野に入れるべきである。
マザーボード、CPU、ストレージは不要であるし、後はバッテリーが改善された非常にコンパクトになる。
バッテリーを外部に置くことも視野に入れるべきである。
計算を順番に数えていく古典派コンピュータはCPUを中心にして発達したが、今後はインテル製よりも画像処理が上手なAMDの方に軍配が上がっていることを踏まえて、ARMのSoC設計能力とNVIDIAのAIに賭けた情熱を掛け合わせたら良い。
最初のARMの売却先がNVIDIAでは危険という指摘は近い将来に完全に払拭されるどころか、電子デバイスに革命を起こす新しい規格を生み出す可能性もある。
AI時代にパソコンの形状、サイズ、重さ、機能が変わっていないことに疑問を感じるべきだ。
テスラは早く市場に高級なEVを届けたくて功を焦ってしまい、ソフトウェア処理の速さだけを求めて市場に出荷した。
この後に色々な機能を設けるようで問題はないが、LiDARに関しては譲れない。
CMOSイメージセンサー頼みのテスラは画像だけを頼りにして、今後も自動運転車を作り続けることはない。
LiDARに関しては高精度なマップ作りを統一しようとして躍起になっており、Googleが取引先のマップを拒否して一時は新聞やニュースを賑わした。
AI、カメラ、LiDARがCG映像を見ながら対向車、歩行者などを識別する取り組みにまで高まらないと実現しないのが自動運転である。
総合的に考えるとNVIDIAにARMのSoC設計技術が手に入ると、今後のスマホのような自動車製造に置いて決め手になる買収になるだろう。
インテルが築いてきた古典コンピュータの歴史に終止符を打ち、なるべく成功する事を希望するならの話である。
AI開発と言っても色んな職種があるので、多くの人たちはAIを研究してソフトウェアを作る方だと考えるだろう。
この問題では早い実装に取り組むためには、技術の融合、既存の職場の改革、問題点の洗い出しと解決、法律や哲学的な面での指摘、ユーザー側との意見調整、製造段階での品質基準など、一口にAIと言っても多種多様な仕事がある。
ここに投資家、仕事の配分、責任者の配置、アイディア会議も重要な仕事である。

水戸黄門を子供の頃ずっと見ていたし、色んな時代劇をいっぱい見ていた。
悪い人は成敗しないと困る人が出て逆に死んでしまうということを、嫌と言うほど学んできた。
水戸光圀が越後の縮緬問屋の格好をして日本中を旅していると、悪党がどんどん向こうからやってきて自滅していく。
時代劇は現実ではないという発想はまったく当てにならないのは、ドラマの設定があまりにも現実であると言いたい。
黄門様がお供と一緒に旅をしていると、必ずアクシデントに出会う。
そんな度々、そんな場面に遭遇することはないと言う人がいる。
一般社会でも驚くほど見てみぬふりをする人が多く、それは法律違反、虐待、イジメ、許してはいけないことが山ほどたくさんある。
それを見破ってしまう黄門様一行は角さんと助さんが悪党を叩きのめすのだが、ここの部分が異常すぎて逆に悪党を引き寄せてしまう。
日本の警察官をサトシはどう見ているかと言うと、水戸黄門に出てくる悪代官そのものであり、一人ずつふん縛って銃殺が妥当な処置だと考えている。
日本の公務員とその家族は処分することが正しい処置であり、日本の夜明けを感じさせるプランである。
時代の変化には生贄が必要であり、自然に間引いてマスメディアの目に触れないように殺処分することが望ましい。
彼らは一般人、子供、弱者、老人、女性、非正規たちを湯水のごとく首吊りさせてきた張本人たちである。
現代社会にナチスがいるとしたら公務員が妥当な該当者なので、現代を飾るのに相応しい復讐劇に発展する。
これだけ拗れた原因は公務員にあるので、その失敗は血で贖うことが正しい。
その公務員と結託して悪事を重ねてきた人間のクズも同様にして処分し、人柱として死んでもらうべきだ。
サトシには今まで実力を持ちながら、世に出ることなく散ってい行った武者たちの慟哭が聞こえる。
ほとんどの人たちが他人肥やしになって死に急ぎ、何を残さないまま消滅する。
死んでから讃えられる偉人たち、誰にも知られずに死んでいく名もなき英雄たち。
何も知らないで勝手な都合で能書きを垂れる言論人を見ていると、彼らは公務員の仕様で述べていることが分かる。
公務員の脳みそに染まってしまうと他人を陥れて自分は助かる、そんな人間ばかりになる。
犯罪者、暴力団、底辺の人たちにも似た人間は多くいるが、彼らに正義や自尊心はない。
サトシは人間の特性として匿名、身分を隠す、抜き打ち検査などを繰り返すと、その人物、地域、組織の実体が判明することを知っている。
その陰でどんなに努力をしても報われないから、結果的に悪に染まってしまう人もいる。
最悪なのは役人根性に染まった人間のクズがのうのうと生き延びて、本当に世の中を変えてくれる人間が早く死んでしまうことだ。
水戸黄門を見ていると悪党は成敗しないといけない、その一点に集約されることだけは間違いがない。
善良な人間は公務員にならない。
公務員は滅びるべきなので、もし公務員がこれを見て気に入らないならいつでも来い。
もうお前らに生きる道は残されていない。
時代の節目には必ず大量殺戮が待っているので、現代では自然死がそれに当たる。