革新的なイノベーションは新型コロナウィルスの応用で実現する 世界の常識と社会的課題

また橋下徹、通称ハシゲが意味不明な戯言を言っている。
お金に困っている生活保護受給者、今すぐにでもお金が必要な人達を持ち出してきて、特定の人間に国庫からお金を支払おうと訴えている。
詐欺師はもっともらしい話をでっち上げて適当なことを言い続けるが、本音は財政の私物化である。
橋下徹の顔を見たら分かるが萩原健一に似ているし、どう考えてもチョン顔だろう。
橋下徹の意図を間違えて読んでしまった。
悪い悪い。
しかし右派や左派を区分けして、あれはダメ、これはダメとやるのは好きではない。
時勢にのっているヒーロークラスは無敵だからだ。
今の小池百合子は止めようがないから、ホリエモンや三浦瑠麗が非難してもやっかみにしか聞こえない。
直感的になんで橋下徹古市憲寿が嫌なのかと言うと、サトシが細かいキャラクターだからだろう。
性格的に粘着的なサトシはずっと同じことを考えているし、攻略方法を見つけるのに四苦八苦しているから何かが違うと断定して見つけるパワーがある。
サトシが決めつけると世論は必ず動かせる。
得体のしれないパワーは正論も、邪論もすべてを覆す。
絶対にNOを叩きつけて、みんなが選んだ良い意見を地べたに叩きつけてしまう効力がある。
嫌いではないが、お前の存在が目障りだから叩かれる。
叩いているうちに相手の得意技を盗んでアレンジし、逆にサトシの18番にする事も可能だ。
保守とリベラルに垣根はないし、どちらでも構わない。
ラベリングをすると曖昧な部分が不明になって、必ず失敗をするだろう。
本筋は本当に困っている人たちに支給するのだが、区別ができないという。
そして一律支給に対する反対意見がお金持ちや中間層にも支払わないと、一気に不満が溜まるという意見だ。
これは極論だから正論とは言えない。
その間にある詳細が抜けているからだ。
困っている人に確実に支払うのは時間がかかるし、全員から賛同を得るのは難しい。
単純に言うとベーシックインカムが的を射ている。
払いすぎ、貰いすぎ、関係ない人が受給するといった矛盾を引き起こさないためには、金額を減らすことで随分と解消ができる。
お金持ちにも払えとなるとビジネス系となるが、貧乏人に配れとなると視聴率でも気にしているのかなとなる。
結果的に橋下徹が何かを言うと在日たちが集まってきて、彼にお布施をしていくことは目に見えているのだ。
この話題は金正恩の死亡と繋がる。
李氏朝鮮の復活のためには金王朝の滅亡が必要であり、彼は英雄として永遠に人々の記憶の中で生きるだろう。
彼を残虐な人殺しに仕立ててきたから、どうしても彼が生きる世界はもうない。
残念ながらご臨終です。
死んで星となって世界を見守ってくれ。
ベーシックインカムを導入すると少額で済むから嫉妬はないし、簡単に捻出できる。
年金の受給額に格差があることが、もっとも醜悪な生存競争を生み出してしまう。
偏差値教育、出世競争、それだけではなくて安定した生活に憧れるサラリーマン信仰が弊害を生んでいる事に気づかない。
競争を生んで贅肉を削ぎ落とす方法が取られずに、贅肉を蓄える方法が取られると人員が固定化されてしまう。
その危険性が高まると固定化した人員の中で、誰もが身動きが取れなくなる。
人は誰も好き同士とは限らないし、本音は嫌いでもリアルを変えることが出来ないから我慢をしてストレスを貯めているのだ。
ストレスを溜めることが習慣化するとその日常性が中毒になって、中毒から抜け出せなくなる。
タバコを吸うのと同じマイナス効果が、環境からくるストレスと認識して良い。
ストレスを溜めているのにストレスから抜け出せなくなるのだが、それが日常生活として習慣化すると義務なのに無理矢理に好きに転換してしまうのだろう。
集団での一体感、同じ制服、チームとしての団結が個人の主張を飲み込んでしまう事に気づかない。
一人の意見がチームの意見になる努力が出来ていないから、集団行動からはみ出せずに苦悩することになる。
思い込み、過度な自信、みんなと同じがいい、自分だけ違うのは嫌だ、何で俺だけと卑屈になるとミスを認められずに延々と引き摺ってしまい、やがて落とし穴に嵌って蟻地獄に陥るだろう。
サトシは人を判別する際に心掛けていることが、何点か必ずある。
まず同じような話し方、接し方、考え方、声の出し方、立ち居振る舞い、言動の流れなどを過去の人物と照らし合わせてみる。
一致する人間が居るもので、その場合は目の前の人物は癖が強いことが証明されたようなものだ。
過去に出会った特徴的な人物と照合すると、高確率で似たところが出てくるのだ。
これだけで確率が上がるから物事を迅速に予測することが出来る。
声が似ていたり、話し方が似ていると、その頑固さ、いい加減さ、態度や判断、嘘の付き方まで共通点が出てくるのだ。
不思議なものだ。
脳の構造に共通点があるのだろうか。
自分のミスを認められない人間は成長ができずに、やがて周囲の人間体にも大きな迷惑を掛けるだろう。
そういったことにも一切気づかない。
なぜなら自分のことしか考えていない人間は、自分と同じ人間しか認めないからだ。
同じ人間同士で狭い空間で生きている人間は、何やっても失敗するし、誰からも愛されないし、人に迷惑を掛けることを日常茶飯事にして生きている。
他人が迷惑を被っても気にもしない。
孫正義が5分5分の勝負はしないと言っている。
その意味は鉄砲隊の織田軍に騎馬隊で特攻してしまい、意地になって全滅した武田勝頼を示している。
さらに早打ちガンマンのサトシみたいなタイプは、誰よりも早くファーストペンギンになろうとすると言っている。
日本人は90%まで確実じゃないと動かないが、それでは遅すぎて旨味がない。
孫正義に忠告するが、サトシは誰よりも早く即決即断するぞ。
超ファーストペンギンとして今後の世界でも君臨していく。
ハゲの旦那、サトシは砂粒1つから勝負に賭けるからな。
焦点は少しずらすけど、本質は変わらない。
勝つ時にしかサトシは前に出ない。
50:50よりも高い状況を待っていたら、絶対に勝てない。
誰もが勝ち誇っているレベルの時に致命的な打撃を入れるものが、すべてを握ることが可能となる。
意外性の高い時に名乗り出て正々堂々と対峙することで、その影響はさらに巨大化する。
最初は誰も気づかないレベルの些細な疑問から生まれるので、自分だけが知っている勝利の方程式である。
その勝利は未来に設定してあるから誰にも読めないが、代わりに努力をしないと勝利は得られない。
最近の簡単な勝利に通じる道はテクノロジーの進化にあるので、技術に疎い連中を出し抜けることからシナリオを組み立てる。
これが最後の逆転に繋がる。
そして人は本当に幸せなのかを疑問に感じて、本音を引き出してみる。
幸福になることが人を惹き付ける訳だから、その設定を心掛ける。
分断や分裂、迎合や集合を作り変えてみて賛同を得るやり方を模索してみると、人々の本音を知ることになる。
過去からずっとサトシが言っていることがある。
10,000人の人間のうち9999人が10,000円を貰っているのに、1人だけが9000円だったらある日いつか瓦解する時が来る。
それならば10,000人のうち1人だけに100,000円を払ったらどうだろうか。
もちろん成績によってヒーロークラスはランダムに変動するものとする。
この意味は人間社会は下に降りていくと、必ず行き止まりが来る。
しかし上昇を試みると際限なく上り詰めることが可能である。
その時にトップの人事を変動性にすることでランダムに作り変えると、延々と変形しながら成長を遂げることが可能となる。
10万円の支給にしてもデジタル政府があったら簡単であるし、プライバシーをちょっとだけ諦めたら無限の成長を遂げることが出来る。
意味づけ、動機づけ、やる気を引き出す、作り変える喜び、リセットボタン経済学は延々とランダムに成長を続けるだろう。
大量生産から空想を物作りの根幹に置くことで、AIやロボットが生産の手段に変わるだろう。
人間の価値観や固定観念の矛先を変えることが大切だ。
このやり方で常勝無敗のインフルエンサーを13年間続けてきた。
目標はビル・ゲイツを超える大富豪なので、小さいことに拘っている暇はない。
誰もやらないことをサトシはやり遂げる。
例え全人類を敵に回してもユダヤ人サトシは戦いに明け暮れる人生を選ぶ。
スプートニクや意味不明なローカルメディアが、ビル・ゲイツ先輩を悪魔の手先みたいに仕立てて叩いている。
コロナウィルスが流行する前から食料を買い溜めしていたとか、30%の人類がコロナウィルスを人工と見ているといってビルを攻撃している。
そのビル・ゲイツはワクチンが出来るまでは、ずっと安静にしていることが望ましいという。
日本のやり方は甘いし、遅いし、楽観視しているといって、小池都知事が混み合うスーパーを閉店にするというコメントについても怒りの声が上がっている。
安倍昭恵の素顔がアエラに掲載されている。
安倍晋三を嫌いない著名人を訪問する旅に出ているのだ。
そこまでの共通点はないが、一定のレベルで安倍昭恵には共感をしている。
トランプ大統領もそんな感じだ。
まったく違う人達に呼びかける彼のスタイルは、新しい層を発掘して共感を伝えられる。
プロレスにも精通しているがヒョードルの後援者でもあるし、総合格闘技の支援者でもあった。
橋下徹のような法律や政治しか分からない頭の弱い人間、古市憲寿のような技術音痴も同じで、想像力の欠如というやつが働いている。
不可能を可能にする発想がない。
話を聞いていても面白くも何とも無い。
こんな奴らがTVやネットで語り合っていることが許せない。
ロマンがない。
孫正義もこの辺の連中は切り捨てても良くないか。
ハゲの旦那はちょっとルーズだね。
もっと機敏に動けないのか。
ところでネット住民と、ミセス・ワタナベのの関係者はビル・ゲイツポートフォリオを真似ることと、急いでバフェットに乗っかるべきだ。
バークシャー・ハサウェイがみんなの願いを叶えるだろう。
GAFAMicrosoftが加わると、バークシャーIBMOracleまでもオマケで付いてくる。
反対派のヨーロッパも取り込んで、中国と日本も属国に入れよう。
サトシが安倍晋三に忠告したいのは、雇用を守ることで人気が出ると思うのは早計だ。
派遣事業を拡大したい人、働き方改革を浸透させたい人、人口減少に備えるために定年制を禁止すること、ベーシックインカムの導入を早めることだ。
日本のコメンテーターの話しはロマンがない。
やり抜くというスタンスがない。
彼らには本質を感じない。
どれも小粒でチョン体質だ。
お金で主張を切り替える小者ばかりだ。
もうオフィスも、工場も、店舗もどんどん閉鎖に追い込んで露頭に迷わせろ。
歯向かう役員以上の階級は引退勧告をしろ。
中間管理職は反抗的だが、お上に逆らったら飛ばして地位を奪え。
派遣事業の方針を1本に纏めろ。
チョンとカスには人権を認めるな。
人権屋を襲撃してやれ。
岐阜県朝日大学の学生たちが野球部の出身者と共謀して、ホームレス男性を計画的に殺害した。
猫に石をぶつけているところを見つかって注意され、さらに落とした学生証を警察に届けられたことを根に持っての犯行である。
猫への虐待、ホームレスという無抵抗な弱者への殺害、ネット掲示板に続々と加害者たちの仲間が書き込みをして脅迫をしている。
岐阜市の人間はゴミクズだ。
愛知県と同様、そのほか源氏の発祥地はクズしか居ない。
在日、チョン、部落の血統を根絶やしにするべきだ。
サトシの自律検索には猫の記事が多くあるが、あの神戸市の新聞でも猫を毎日掲載している。
それだけ癒やしを人間に与える象徴であり、アラブでは珍重されているのだ。
オーストラリアでは毛嫌いされているが、日本人は猫好きである必要がある。
猫が嫌いで、猫を庇った人間を殺してしまい、さらに罵詈雑言の嵐とは岐阜県人とは何ものだ。
今岐阜は明智光秀で脚光を浴びているが、裏切り者と山賊の文化で凝り固まった地域性で出来ている。
漸く橋下徹が休業手当の10万円一律支給について、自分は貰うべき立場ではないと表明した。
当然だろう。
匿名希望の在日支援団体からお布施を貰えるご身分だからな。
何かを発言する時、または巨大な権力を持っている場合、ビジネス的な発言をする時も、その背景や支援者の影をリアルに提示してくれないと賛同はできない。
立場をはっきりしない言動に対して、サトシはすべてを却下する。
茂木健一郎が怒りをコントロールできない日本人と題して、20世紀と21世紀を比較している。
しかし20世紀は情報量が少なかったこと、暗部がダークすぎたこと、犯罪の報道が隠れていたこと、経済や生活が明確ではなかったことなどで判断材料が少なかったと言える。
現代社会では各自が情報において過多になっている状態であり、それぞれの怒りが湧いていると言える。
集団的な解決では図れない怒りを鎮めるには、個人が個別に問題を提起して解決するしか無い。
その上で怒りとは生きていること、感じていること、考えていること、知ろうとしていること、何かを成し遂げようとしているエネルギーの迸りだから悪いことではない。
怒りのエネルギーは燃えよドラゴンでも実証済みである。
ケンシロウラオウも怒りをエネルギーに変えて超人になっているが、何で怒りを抑えないといけないのだ?
エセ脳科学者は黙ってろ。
怒りは人を超人に変える単純なスパイスだ。
怒りをコントロールする方法を身に着けたらいいのであって、怒りを抑えてしまっては去勢された猫と同じだ。
喜怒哀楽と言って、怒りは笑いも悲しみもともに纏っている。
怒りはダメという発想が失敗する人間の常ではないだろうか。
怒り無くして感情の迸りを感じないので、淡々と述べる非常に味気のない人間としか認められない。
怒りはそれだけで相手に伝わるシンパシーである。
シンパシーを送るには怒りは欠かせない。
怒りがあってこそ愛があるのだ。
愛があるのに怒りがないとは何故だろう。
本当の愛を知らないから怒りを抑えろというのだろうか。
怒りを抑えることで冷静になるというが、怒りを知らないのにどうやって冷静を知ることが出来るのだろうか。
怒りを知らないのに冷静さを知ることはないし、愛を覚えるには怒りという感情の爆発があって初めて感じるものだ。
サンデーモーニングを見ていても分かるが、日本の学者の欠陥は権威、または受け売りを持ってきて証明とする安易さが嫌だ。
彼らは高価な本を持ってきて、そこに書いてあることだけを盲信する。
証拠、証明、科学、認知などの判断がみんなが言っているからに置き換えてしまう危険性があるのだ。
学者のみんなが言っているとは、お金持ち、学問の権威、または政治家への批評が集まって出来た学者特有の文化的なアクションで出来ていると感じる。
対立するもの、仲間の総合的な意見、希望的な観測が相俟って判断をしている学者の見解は、実はみんなが言っているからに近いし、そのみんなは同じ価値観を持っている人たちであるし、逆に怒りを感じる人達には反対意見を述べるだろう。
対象のカテゴリーによって学者は迎合するし、怒りを覚えるし、その反響に応じて解答を違えているのだ。
知能で物事を計るよりも直感的な怒りや笑顔の方が、物事を捉えるのに有効ではないだろうか。
その後に覚える言語的な判断力は感情という信号を利用しているので、怒りは人間にとって必要な感情だ。
間違った怒りを覚えたり、相手の表情を読み取ったりするときにもこの怒りは利用される。
怒りがないと映画も、小説も、漫画も成り立たないのに何を言っているのだろうか。
怒りをコントロールできたら新しい問題に対して、何も感じない機械みたいな人間が出来上がるだろう。
孫正義が何だか力不足で申し訳ないといって、世間様に侘びている。
海外の富豪と日本の富豪の違いは損得勘定だろう。
納税額、事業規模、持てるものの責任感からくるやっているという感覚がなぜ寄付をする必要があるのかに疑問を抱いているのだ。
そうではない。
寄付をすることで大衆に対して義務を果たしているのだ。
借金を背負う時も、寄付をする時も、義務を果たす時も、バカでは意味がない。
効果的に義務を果たすことで、その見返りは10倍になるだろう。
何らかのアクションを実行する時は、たった一言で10倍の効果をもたらすように取り計らうべきだ。
投資効果が寄付効果になっているのだろうが、高い買い物をする時に何らかの寄付が働いていると見ている。
誰かが果たす義務や寄付に対して、誰かがその負担を負っているのだ。
投資をすると日本では何だ営利目的かと思われがちであるが、寄付と投資は相殺関係にあるから同義語でよいだろう。
日本では投資家への保護が希薄だから、投資と寄付が注目を浴びない。
注目を浴びないということは、みんなの価値観に投資と寄付がないのだ。
そしてヒーローではなくて守銭奴に見えるのだろうか。
寄付が守銭奴に見えるとは一体何故だろうか。
税逃れとか、資金洗浄とか、身内に流したとか、売名とかだろうか。
日本の世論は怒りよりも、その感じ方や素直さの方に問題がないだろうか。
怒りよりも感じ方に注目をする方が先だ。
香港の民主化運動がどうぶつの森に移動をしている。
オンラインゲーム内での活動は規制がされない。
新しい活動のフィールドをサイバー空間内に持ち込んで、自分の縄張りを築こう。
そして法制化されていない新しい土地は奪うことも可能であり、多くの人が集まるサイバー不動産は高価だ。
宣伝効果も高い。
サイトのバナー広告と同じである。
TVや新聞しか見ない人たちは、それ以外のメディアを認めていないから勝敗の行方が分からない。
見えていない人は見えるための価値観を多様化しないと、知らないことに対して恥をかくだろう。
教科書やテキストをみて知識を覚えても、その背景を知る努力を怠ると知識は諸刃の剣になる。
サトシは六世占星術では火星人マイナスだ。
芸術家、デザイナー、アート、広告業などが向いているらしいが、超天才クラスの才能を持っているらしい。
自由奔放に書いてあるけど、サトシはやぎ座だからな。
要するに自由さと管理能力を持っているので、穴がない。
しかも自分に課している負のオーラが凄まじいから、誰も寄り付けない。
サトシは自分に十字架を課すために派遣会社の従業員に命令をして、自らが働いている。
サトシの役割は全産業支配の達成だ。
経済学や社会学の知識、歴史の転換点について発想を豊かにし、もしもをテーマにした考え方で斜め斬りをしていることが良い方向になっている。
ドリフターズのコントのもしもシリーズは、サトシに良い視点を与えた。
助かっている。
結果的にサトシの場合、運勢は関係がない。
何故ならサトシは織田信長の再来だからだ。
歴史に名を残して大成するはずだった人物が、何故か土壇場で暗殺される過去があった。
それが織田信長坂本龍馬の存在だ。
その教訓を活かして暗殺されない信長と竜馬を演出しないといけないが、困難を極めているのが実情だ。
サイバー空間とゲーム関連では規制の網は張れないし、ここでは何もかもが自由だ。
サイバー空間は不動産である。
居場所とは生身の体を置く場所だけではなくて、持て余した時間を共有する場所も必要である。
その価値観が結果的に居住スペースをも提供する働きに変わっていくだろう。
まず住居を手に入れる発想が変化して、先に居場所を見つけることが最初になる。
住居があるとはタンス預金の発想だ。
住居がなくてもクルマと免許があったら、コロナウィルスからも身を守れる。
住居がない発想が人類の身を助ける。
自由にどこにでも居住場所を移動できる思考力が必要であり、その過程が人類をさらに強化するはずだ。
学者たちが述べている見解は、ブラジル人口7%が唱えている地球は平面だという考え方の中に真実がある。
地球は平面という事実を正解にする証拠はないが、地球が丸いという事実も宇宙の95%が謎であることを考えたら事実とは言えない。
同じように証拠がない科学的な事実に対して、人類は科学という名称に後退りして考えることを拒否していると言える。
SFはサイエンス・フィクションであることを忘れてはいけない。
エビデンスを証明するためのエビデンスが必要である。
エビデンスは1つの証明だけで多世界を解明することは不可能である。
多世界を結ぶ科学的な証明にはエビデンスが複数あると考えた方が良いし、人間が負の存在であることを認めないといけない。
人間が幽霊なんだと考えよう。
立体に見える3次元社会の実態はまるで逆だと論点をすり替えてみよう。
それを簡単に証明するには学者たちが必死になっている学術的な証明に対する手法は、実は10万人の同業者である学者が口を揃えて唱えている呪文に過ぎない。
10万人が同じ呪文を唱えることで、彼ら学者の社会的地位は保証されてずっと同じところで働けるのである。
学者が同じところで仕事を達成するには、何が必要なのか。
世間様に仕事である学術研究を認めてもらうために、みんなで一斉に同じことを唱えてアピールすることが必要になるのだ。
一般大衆はエビデンスに目を向けていないことが、これで分かる。
現実にエビデンスを持ち込むことが求められているのだが、これは証拠の証拠を重ねて多様化を最適化する方法と見るべきだ。
多様化と言うと遅い、安い、成果が低い、実力が下がるなどのマイナスイメージがあるが、実は違う。
多様化はドラクエで言う賢者である。
賢者は魔法を使える戦士だから、万能な能力を得るのに時間がかかるだけだ。
時間を掛けて育成することはコストがかかるが、その後の生産性を考えると元が取れる。
人生は長いから実力を十分に養って、さらに賢者になることをオススメする。
学者たちが10万人も集まって自分たちのエゴを恥も外聞もなく晒しているのは、自分たちの地位を維持してアピールすることが目的だからだ。
そして一般大衆たちは学術研究に当てる時間がないし、その役目を負う学者に丸投げをしていると考えられる。
丸投げをしていることとエビデンスに不備があっても、社会全体に学者が唱えていることが事実なのだ。
証拠が不十分でも現実的に学者が唱えているから、それで十分に理解されてしまう社会の方が恐怖を感じるべきだろう。
この世界はフィクションで出来ていることを感覚的に知りながら、その解明をする努力を怠っている人類に警鐘を鳴らすべきだ。
学者が自動的に協力をしていて、自分たちに有利なエビデンスを掲げていることには目を瞑ってしまう人類のリアルさには目を覆うばかりだ。
そういえばPanasonicがライバルたちから大きく利益で引き離された。
この結果を受けて史上最低の結果を出した津賀社長は継続を希望し、ほぼすべての事業を締める計画だ。
大量生産がイノベーションだった時代から抜け出せずに、今日まで変化に対応して来なかった。
PanasonicDENSOグループを比較すると、まだDENSOの方がマシだろう。
Panasonic人間性が意地汚いからだ。
逆に幹部は達観しているみたいだが、対応策がないに尽きる。
売上を落としてでも数年後を目処に立ち直る計画が必要である。
Teslaが電池事業で中国や韓国と取引をすることが決定し、人件費の高さが明暗を分けたことで、Panasonicの高価格体質を改める必要がある。
そのためには人件費の高さがボトルネックになっているから、人件費を抑える工夫が必要である。
ファブレス化、テレワーク、遠隔距離からのロボット操作、サイバー空間からの宣伝やマーケティングOSS開発、スタートアップやアジャイル開発は言うに及ばず、古い発想や知識の垣根を撤廃して革新的なイノベーションを起こすことが必要である。
破壊は創造を兼ねるからだ。
創造は破壊を兼ねるので、一挙両得をイメージして事業を立て直すのだ。
1つで2つのことをすることが必要であり、1つで2つを両立できる過程では素晴らしい成果を出せるということだ。
2つが相反する行為であるのにも関わらず、それが相対的に成立するのは正しい組み合わせだからだ。
明と暗を分けるには経営状況、社会現象、官僚組織図、企業分布、世論、情報流通などを考慮してまったく正反対の情報がガッチリと握手をする関係の構築を作れるかどうかに掛かっている。
武器は1つではダメだ。
相反する性質の両立が兼ね備わった時に、初めて成功をするだろう。
武器とは攻守を考えた作りであることと、使い手が攻守の妙を操る才能に目覚めることが必要である。
明と暗を分けるのはまさに正反対の駆け引きに勝利して、次の手を何手でも用意できる方が勝ちやすいと言える。
ネットワーク社会の本質とは広範囲をカバーできる能力的な性質を網羅することだが、広い、浅い、希薄、点在、少数、多彩といったようなイメージの方が勝利をしやすい。
もうソーシャル・デザインから入るしか現体制を覆す方法はない。
デザインを構想するのにカッコよさは必要がない。
研ぎ澄まされた機能美が日本社会には必要であり、斬新なアイディアは究極の美を演出することだろう。
サトシが職場以外の人にすれ違うと声が聞こえる。
重い、重い、毎日ずっと重いものを運ばされている。
辛い、痛い、苦しい、悔しい、負けたくないといった心の声が聞こえてくる。
日本の産業界は一部の老年を労っているが、その弊害が社会全体を覆っていることを知っているのに変えることはない。
何が人権だ。
何が雇用だ。
何が法律だ。
正しいものはすべての人間の最大の幸福を実現することである。
幸福を実現できない分際で前に出てしゃしゃるな。
同じ組織、職場、いつもと変わらない現実から脱却することが、今後の遠距離生活社会を実現するだろう。
人間は移動を制限することで意外と自由を手に入れられるし、移動をするのならサイバー空間でご自由にどうぞとなる。
最近の傾向としてロボットのハンド開発が盛んである。
光と機械学習によって人間の手指と同じような動きをしようと、研究が急がれている。
フレキシブルな吸盤でいいと考えるのは早計で、食料品などの形状が変わるものも持てるロボットが必要である。
そして形状がフレキシブルであるとロボットの汎用性が高まって、機械設備のアップデート対応が早まるだろう。
一般的な企業ではまだ進んでいないが、IoTやRPA、さらにハードウェアが数珠繋ぎになる取り組みは普及を早めている。
仕事は中央で取り仕切る手法から、個別の作業者、1台1台の設備機械を優先した作業環境を重視する方向にある。
製造業が用意ドン!の流れから、バラバラになって個別に動いているのに生産性が上がる方に賭けるべきだ。
体育会系気質、イジメ体質、うつ気味、製造業離れ、サービス業過多、公務員になりたいなどの社会現象をルールから作り変えることが必要である。
1箇所にいるよりも離れている方が生産性は高まるし、ストレスは貯まらないし、色んな人と出会えて見識が高まるし、テクノロジーの成果を試す実験場として社会全体が協力をするべきだ。
これは自動運転にも活かされる。
自動運転車が流行らないと作る方法も従来どおりになるし、働く人達も疲弊していくし、製造方法そのものが遅れを取っていく。
日本人の生産性を10倍にアップすることが重要だ。
意味不明な政策目標などは不要だ。
どうしたら10倍の生産性上昇を達成できるのか。
広がること、遠くにいること、接触しないこと、自分の考えを持つこと、SF好きになること、ミステリーを読むこと、感動的なシナリオで頭を満たすことだ。
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