ロックダウンによる経済封鎖が引き起こす明るい未来 ウィルスは悪党を懲らしめる

新型コロナウィルスのニュースばかりで、いい加減うんざりしてきた。
サトシは同じことをするのが嫌いなのだ。
完了した仕事は飽きるのも早い。
1度やったことのある仕事は覚えるのも早いのは当然だ。
その過去の業績、実績、成果を他人に伝えるのはもっと煩わしいものだ。
出来て当たり前の世界で生きてきたから、他人の言っていることが飲み込めない。
確かに何でも上手に行っている職場、生活、人種をあまり見てきていないとも言える。
失敗した職場、会社、人種を限定的に見てきたから、失敗から起こす成功の美学について分かっている。
しかし成功から学ぶ失敗については疎いかも知れない。
サトシの人生の中では職業研修の嵐のような生活だったから、習う前にコツが分かっている事が多い。
数ヶ月単位で仕事の研修を受けているから、今のように仕事の組み立てが出来るのである。
TOYOTAの看板システムを過去に学んできているから、その改良点についても十分に発表をしてきた。
知っている人たちは話し掛けないし、交わらないし、お付き合いをしないスタイルを貫いてきた。
ネット掲示板SNS、Blogだからいいけど、本人と直接的に話し合ったら長時間の激論になるはずだ。
とんでもない激論になって身をすり減らす戦いになるだろう。
ネット上で付き合って改良点を述べる分には、何も問題はないどころか頭にすんなりと入ってくる。
時々グーグル検索においてサトシの揚げ足を取る項目がヒットすることがあるが、それはそれで反論もできるし、迎合も出来る内容になっている。
言葉に関連してヒットしたり、物事に応じてヒットする場合があるが、往々にして満足の行く検索の羅列を実現できていると感じる。
コロナウィルスは結果であって、その過程にあった人間の営みについては議論がされていない。
人間の営みの中で間違いがあるとしたら、人間社会は永遠に続くと勘違いしていることだろう。
人間は人間ではなくてお星さまだったし、お星さまは無から生まれた中途半端な存在である。
膨大な計り知れない燃焼エネルギーを持つ恒星のパワーが、人間の内部に流れている粒子の破壊力に違いない。
人間は能力をまったく使い熟せていないのに、それを分かろうとしないどころか使う気がない。
真空状態から生まれた重力という謎のヒッグス粒子は、一体何故生まれたのか。
多分、無=完全を証明するためには、有=不完全であるための証明が必要だからだ。
人間がすべての能力を解放して宇宙物理学の謎を解くのに必要なことは、人間の思考の中で起こるダイアグラムをすべて解くことだろう。
YESとNOで分岐する人間の行動の結果は、常に自分に纏わりついて離れない。
その総合的な結果に対する最適化が量子重ね合わせであり、人間は常に最適化の中に不完全な行動をしているのだ。
平均化では複数の世界を跨げないし、総合的に世界を知ることもない。
YESとNOの狭間にある誰も導かない場所に最適化があって、総合的な情報データ取得の意味が違うのだ。
情報データをアンケートでも、嗜好調査、買い物データ、選択した結果で統計にとっても最適化には程遠い。
もし最適化が実現したら無の世界も、有の世界も安定するのだろうか。
安定したら世界はどちらも選ばないのかも知れないが、それは進化の過程にはないと思う。
最適化しても完全になることはないからだ。
やがて世界は幕を閉じてしまって、再び無から有に転ずることが起こるだろう。
完全な宇宙と不完全な宇宙が実在することさえも、また最適化されないことの証明である。
最適化とは分かっている範囲での最善であって、完全無欠ではない。
完全という単語さえも人智の及ぶ範囲の単語に過ぎないし、人間社会から生まれるものはお星さまの範疇を超えることはないのだ。
完全である宇宙の根源は、それさえも複数存在しているはずだ。
その複数の宇宙が完全性を証明するために、お互いが繋がっていると考えた方が正しいはずだ。
物事は単独で存在しないと言っても過言ではない。
人間の体内で生きている細菌にとって、臓器は巨大すぎて把握ができない。
細菌にとって人間とは神にも等しい存在である。
人間が宇宙の塵であるのか、それとも華であるかは知らないが、
この世界の理を知ることは出来ないほどに小さい存在であることは間違いがない。
それと同じ現象が人間社会にも起きている。
社会に起こる不具合を分かるように記事を纏めてみた。
細菌と同じように人間は大きな社会が見えているようで、本当はまったく見えていないのである。
見えていないのに見えていると偽る人間の愚かしさは異常であるが、そういう機能を与えられているから地球上で生きられるのであろう。
本当に千里眼だったら地球上ではとても生きていけないはずだ。
しかし矛盾する部分は見えないものを見えないと、この先の進化に悪影響を及ぼして全人類どころか宇宙は途中で滅びることになる。
失敗した宇宙と継続している宇宙の存在が、それもまた最適化の中で重ね合わせを起こしているのだろうか。
量子は重ね合わせを起こす訳だから、人間も、社会も、経済も、仕事もすべての現象は重なっているのだ。
要するに重なっているから失敗をしても、成功をしても、誰も失敗をしないし、成功もしないのである。
延々と自問自答を続けて禅問答のように長い時間を過ごしているはずだ。
ただし時間を過ごしているというよりも、状態の変化が起こるのに一定のタイムラグが起こるのだ。
データを認識して正しく変化するのには読み込みが必要だから、計算をするのに時間がかかるのである。
それだけデータ容量が多いからだが、それを時間に区切って物事の変化を認識に利用してきたのが人間であろう。
物質が変化するには環境と状況がある一定の中で、特定の物質が何に変化するかは決まっているからだ。
だから時間ではなくてデータの変化を記憶していると置き換えた方が分かりやすいし、人間にとっては物理現象を時間で例えた方が便利なのだろう。
宇宙はずっと変化が起きるのを待っているが、人間から見た宇宙は時間の流れでしか判断ができないのだ。
人間には何も見えないから当然だろう。
社会と人間の狭間にある世界は同質であるから、宇宙と人間の狭間も同質であると言える。
宇宙空間にぽつんと巨大な超赤色巨星があるし、ブラックホールまであるから、地球上に人間がぽつんと実在していても問題はない。
真空の中になぜ超巨大な赤色巨星が存在しているのか、それこそ大きな疑問だ。
真空なのに赤々と燃え盛る恒星たちの不可解な存在は、人間が地球上で生きていることと同様の大きな謎だ。
真空が反抗的になって恒星を殺そうとしているのか、それとも恒星が生意気にも真空に歯向かっているのかは、もっと謎だ。
燃え盛る炎を打ち消そうとする現象と、真空の中の完全性を破ろうとする命の炎が戦っているようにも見える。
宇宙の存在そのものが反対派と賛成派の戦いであり、その存在を打ち消すように戦っているのだ。
しかし源が分からないことと、失敗した場合の是正措置が分からない。
宇宙の根源的なエネルギーは何で出来ていて、滅亡した場合のフォローは用意されているのだろうか。
この部分に量子重ね合わせの重要な意味が隠されているはずで、人類が解決しないといけない分野である。
人類を取り巻く環境である宇宙の構造に賛成派と反対派のような熾烈な闘いがあるのだが、これは人間社会が縮図になっているのだろうか。
それよりも地球環境の中に大気が存在し、光と水が人間に潤いを与えて、酸素を吸って吐くことで環境が維持されていることは不思議でならない。
そして都合が良いようにして鉱物があり、燃焼を引き起こす石油や石炭がある。
石炭は古くからあったが、石油に至っては石油製品を生み出したし、その影響は産業に革命を起こした。
青銅や鉄も同じでもし古代からなかったら、人間は猿と同じであったろう。
そもそも人間だけが言葉を操り、自然現象を産業、文化、組織に応用しているのが不思議である。
サトシも書くときに不思議な現象が起きている。
それは書いた直後には書けないのだ。
ある一定の時間が経たないと身体がダルいし、脳みそが機能をしない。
書いた後に疲労しているというのは良い訳であり、的を射ていない。
書いた後に休憩をしないと書けないのは、社会現象、反響、読者の感想、その後の事後処理に変化が起きている証拠ではないだろうか。
個人で楽しんでいる間には、こんな現象はなかった。
サトシの人気が上がって売れるに従って、その影響が大きいと疲労度が増す。
その疲労度は疲れているのではなくて、周囲の環境が状態の変化を起こすまでのタイムラグであると考えるとしっくりくる。
この部分を抜き出すと個人的に生み出した空想上のキャラクターは、その人物だけが知る存在だから小さいデータだ。
しかし空想上の登場人物を誰もが知っているような存在になると、その影響力は計り知れないからデータ量が巨大になる。
売れている作家は書けなくなって、どんどん疲弊していくのはデータ量が増しているためにデータ格納が間に合わないからだ。
サトシは自分を実験台に使って分かったことは、影響力という社会の認知力にはある一定のデータ的な数量があるということだ。
人間の体力が有るとか、無いとかの問題ではないし、書くための意欲、書くための素材、書く書かないの意思の有無に関係なくデータが変化するまでには待機期間が必要であるとなる。
さてコロナウィルスによって社会はどう変遷するだろうか。
学校に行かなくて良い。
会社に行かなくて良い。
商店やサービス業は閉店しても良い。
中小企業には大打撃となって零細企業は消える。
通勤電車もヤバいかも。
都市部は危険となって人口集中が途絶える。
話し合いのコミュニケーションが変化してチャットが流行る。
不要な企業や商店は閉鎖に追い込まれて、余計な競争から免れるし、人材を確保できるし、価格競争は落ち着くし、大胆な企業戦略を打ち出せるから小競り合いに気を奪われない。
小池都知事が何を感じてロックダウンを始めるのか知らないが、感染症を防ぐためだけではない。
三木谷浩二が必死にロックダウンを訴えているのは、お買い物が店舗型から楽天に流れるからだ。
孫正義も必死に訴えているが、これもYahooの売上が上がるからだろう。
そして彼らはインターネット通信事業も行っているから、一般市民が家に閉じこもった方が商売になる。
聞くところによるとユーザー離れを起こしていたFacebookまでもが、このコロナウィルスによって息を吹き返しているそうだ。
世界中の人間たちが家に引き籠もってインターネットで過ごす時代では、VRが活躍をするはずだ。
そして在宅勤務はやがてVR必至の時代になって、遠隔操作が一般普及化するだろう。
会社を建てる必要がない。
従業員の居住スペースや生活環境を充実させる必要がない。
労働者は通勤電車を免れるし、朝をゆっくりと過ごせる。
煩わしい人間関係に苛まれる事もなく、自由に伸び伸びと働ける。
自分の好きな時に働いて、好きな時に休むことが出来る。
次の段階がエッジコンピュータによるBlockchain社会をより身近にする試みだ。
秘密の情報を選別して必要な情報のみを公開できるし、関係者一同が全てにおいて情報を共有できる。
繋がっていない人間、機械、コンピュータは外部との連携を強いられるから、確認ミスや処理ミスが起こることは万に一つもない。
人間社会から隔絶している人間たちを発見して正常化させることが急務であることから、ロックダウンは神が人類に与え給うた最後の審判だ。
ロックダウンに従わない人間たちは最後のチャンスを失って、この世界から排除されるだろう。
会社を辞められないのではない。
会社に勤めることが当たり前と割り切っているから、真実が見えないのである。
会社などはどんどん辞めていき、好きなところで好きなように働くことが重要である。
会社に拘って居座っている人間には重大なペナルティが与えられて、この世界からドロップアウトを強制される。
世の中に有る常識がサトシのお告げであり、サトシのお告げを守らなかったものは奈落の底に叩き落されるであろう。
いちいち教えてやる必要もないのだが、犠牲者を増やすなとの指令だから仕方がない。
犠牲者が増えようが、犠牲者が0人であったとしても、最終的には人口は減少していく。
量よりも質の時代だからだ。
商品の品質を高める時代ではなくて、もっと立派な商品を生み出す時代だ。
今まで作れなかったものを作るべきであり、70億人に過去の商品をお届けしても喜ばれない。
手にするお客さんに喜びを与えるには、手にした瞬間に希少性がないといけない。
その希少性とは打ち出の小槌になる商品であることが必要であり、その意味はお金を生み出せることが必須だ。
自動化されたものは仕事で利用できるが、クルマなら無人タクシーに使えるし、トラックも無人で運送してくれるし、仕事そのものをロボットで無人化出来たら職場には誰もいないことが実現できる。
その仕組を作るのに人手が必要であり、人間社会は仕組みを作る側が不足している。
商品を作っても一般社会に役に立たないものを提供することは、本当に無駄なことである。
努力の方向性が間違っている。
リモコンを作るのにボタンを増やして多機能化しても、会社も儲からないし、従業員の給与も増えないし、消費者も値上げに対して怒るであろう。
このような日本企業の高価格な体質は、仕事を増やしてリストラを免れようとする方法であり、その方法が間違ったことに利用されているのが現実である。
まだ有能で新しい人達の働く椅子を守るならば良いが、まったく仕事をしていない従業員を庇うために用意する椅子など無いのだ。
会社に引き篭もるか、自宅に引き篭もるか、現代人は危険から身を守るために部屋に閉じ込もってしまった。
引き篭もりは立派な発言をするが、その理由は部屋から出たくないだけだ。
いちいち無能を部屋から出しても役に立たないし、何も出来ない。
いっそのこと部屋に残したまま放置をしてしまい、死滅化させることの方が有意義であろう。
共産主義の社会でも作る必要がないものを作って、市場原理に合わない仕事をして崩壊した。
日本も長らくこの傾向が続いているが、会社を倒産に追い込む従業員は切り捨てないといけない。
そして一般社会すべてが無能を追い出さないと、いつまで経っても経済社会は復活しない。
これは間引きである。
引き篭もりはすぐ隣りにいる。
働いていても引き篭もりは多い。
もう頭がノイローゼになりかけているのに、何を期待する必要があるのか。
役に立つ人を優先しないことが正しいと言うが、役に立つ人とは色んな意味が有るので語弊を招く。
意味を作る人も役に立つ人だからだ。
単純に仕事がしたい、給料がほしい、従業員でいたい、単純作業をしたい、何の目標もなく会社に居座らないで貰いたい。
意味を作るという発想は良いのだが、意味を作らない人はいないのだ。
外資系は現場重視であり、現場に人事を任せているようだが、日本企業では不可能なことだ。
日本の現場では縁故が重要視されており、無能が生き残りやすく、成績が明確ではないし、人の勝手な妄想で何もかもが決まってしまう傾向が強いからだ。
同じような人間だけが働き、新しい意見には耳を傾けず、実際の仕事の方も調査が不可能であり、何を基準にしてどんな事を目的にしているのかが明確ではない。
日本企業はまったく仕事をしていない。
レガシーに凭れ掛かって資産を食い潰しているだけで、何も新しいものを生み出していないのだ。
日本には天才的なソフトウェアプログラマが誕生したが、逮捕された挙げ句にマスゴミが一斉に叩いて病気で死んでしまった。
その当時を考えたらまだGoogleも出始めで、Facebookはまだなかった時代であり、iPhoneもまだ販売していなかった。
金子勇は若くして病死してしまったが、彼が作成したP2PはBlockchainとして蘇った。
かつて日本企業はエアバッグをバカにしていたのにも関わらず、タカタ社製のエアバッグが北米で売られていた。
その後に人身事故があった際にエアバッグで圧死する事故が起きて、大きな社会現象を巻き起こしたことがある。
エアバッグを発明した人は日本人だったが、日本企業がバカにした結果に自殺をしてしまった。
このエアバッグの発想は戦闘機のレーダーにまで画期的にして領域を広げてしまったのだが、日本人は誰も理解を示さなかった。
その日本人が何の理念もないのに、ただ単に発明家の犠牲で成り立つエアバッグで商売で儲けるとは何事だろうか。
世の中は不思議なもので因果応報は必ず天誅となって再現する。
悪は必ず滅びる。
不正者が生きていてはこの世界が歪んでしまい、時代の前後の繋がりが変わってしまうからだ。
パンデミッククラスター、ロックダウンが今後どのように社会を変えるか考えてみよう。
単純に学校に行けない、会社に通勤できないという事ではない。
1度でも了解した場合は、政治システムを最大限に活用して徹底的に弾圧に入るだろう。
日本社会に蔓延る不穏分子を一網打尽にして、1匹たりとも逃しはしない方向で物語は進捗するはずだ。
1匹でも生かしておいたらねずみ算式に増えていき、やがては指数関数的な爆発力を見せるからだ。
学校教育の終焉、公務員制度の弾圧、企業社会の根底からの排除を通じて豊かで実り有る社会の実現を実行に移すべきだ。
とにかく子供たちを悪い大人たちから保護して、然るべき措置を通じて隔離するべきだ。
今現在の大人たちでは子供たちを教育する資格はないし、自分のことも出来ない無能たちには消えて欲しいものだ。
昭和の時代は大量生産をするだけで良かった。
無能が仕事をしても可能だったし、簡単な3K仕事を嫌がって多くの若者がサービス業に流れてしまった。
結果的に人手が不足してしまって、重要な職場に人材が足りなくなってしまった。
今現在のジジイたちは仕事が出来ないのに、能書きばかりを垂れる人間のクズである。
単純作業だけをしてきたので、一度に多くの処理を出来ないし、仕事の改善ができないし、提案や発表も出来ずに、ただ単に後輩に威張り散らすことしか出来ない。
そこに屯する無能が地元のチンピラみたいな連中を雇いれたことで、深手を負ってしまった。
人間関係の繋がりだけを頼りにして庇い合う職場は、もう日本企業には要らない。
徹底的に弾圧して消すことが肝要である。
サトシに命じられて任務は人間のクズを排除して、直ちに正常化して安定性を保つことだ。
現在のテクノロジー社会に与えるコロナウィルスの働きは、何もしなくても自然となるようになることだ。
願望がコロナウィルスによってすべて叶うさまは、阿鼻叫喚を通り越した感動であろう。
人の死は必然的に起きて、ああやっぱり天罰が下ったとなるであろう。
悪い人間たちはついに地球を激怒させてしまい、その鉄槌を身に受けるだろう。
外出を控えるとは通勤しない、通学しないである。
家の中で閉じ籠もっても仕事や学習が可能となる生活環境を築くことが、今の社会環境を如実に反映していると考えられる。
引き篭もりは非常に多いからだ。
家にも会社にも多くの引き篭もりがうじゃうじゃと屯をしているが、彼らを正常化させる方法は引き篭もりを認めることで達成できる。
引き篭もりは引き篭もりであることを認めないが、彼らの精神衛生上の問題を鑑みて引き篭もりの有用性を見つけ出すことが正しい選択である。
正社員で働かないと近所の目がある、世間の目が怖くて真面目を通す、周囲の意見に同調してしまう、エスカレーター式の人生が好まれる、先輩は偉い人生観は100年前のものだ、人間は皆同じではない、お前と一緒にするなと言いたい。
あのユニクロが33%の減益になるらしい。
吃音のおじさん柳井正でさえもウィルスには勝てなかった。
ユニクロもネット販売を強化していくだろうから、Softbankとの関係は切れない。
細菌はAmazonが大人しいが、仕事で忙しくて考えている暇がないのであろう。
新しい話題を提供して欲しいものだ。
Googleは相変わらず暇人のようで、ぺちゃくちゃとおしゃべり好きだ。
FacebookはAIの可能性において疑問を感じているらしいこと、Libraでも迷走をしていること、そして本業がウィルスで忙しいのか知らないが沈黙している。
Bitcoinはデジタル通貨として成立するのか、そしてデジタル・ゴールドとしての価値を見出だせるのかについて議論を戦わせている。
サンダースはアメリカ大統領選を後にする中で、若者に革命の重要性を説いた。
Panasonicは運良く機会を得たのか、喜んで操業を停止する準備を進めている。
またパワハラなのか内定を取り消しされて自殺をしたことで、Panasonicの迷走と同様に叩かれている。
この会社はすでに内部崩壊を繰り返しているが、一向に内部統制が取れないのが実態だ。
ソ連共産党の終焉を見るような相次ぐ日本企業の醜態は、見ていて抱腹絶倒である。
もう修正を施しても無理だ。
首謀者を徹底的に弾圧することが正しく、派遣会社の膿と同様に叩き潰すことが正しい。
対角線上の敵の打倒をライバルに依頼することで、簡単に仕事が捗ることが可能である。
獅子身中の虫は潰すにはライバルが結託することで具現化出来るが、ナチス共産主義の戦いを制したのは裏で計画を仕組んだアメリカだった。
敵を倒したい場合は敵との物々交換によって、物事を成功裏に収めることが可能となる。
敵は敵ではなくて、敵が敵であることの作用が本当の敵だ。
その作用が本当に理に適っているか、そこで課題が残る。
その課題を宿題として準備期間を設けることで、真の敵を補足することが可能となる。
労働から逃げないで自分の可能性を信じることが、活路を見出すことに繋がる。
やりたくもない仕事をしているべきではないし、他人に指図をされて甘んじるべきではない。
本当に自分にあった仕事は、子供の頃になりたかった職業である。
頭の片隅に有る夢を叶えることで、仕事の効率が国家レベルで成立するだろう。
やりたい仕事への需給関係が成立しないから、国家レベルでの人材獲得が不可能になってGDPが低下しているのだ。
体力を要する肉体労働はパワードスーツを着用する方向にあるが、それでも無くす方向に進めるべきだ。
働く人がやりたくない仕事を残すことは、文明社会に対する冒涜である。
プログラミングなどの仕事が捗らないのは人材が少ないこともあるが、報酬が仕事内容と成果物に反映されていないからだ。
無くすことが出来ないソフトウェア開発は高い報酬に設定して、簡単な仕事、高学歴の仕事、役所仕事、資格仕事などの特権を無くすことで通常の価格設定を可能にできるはずだ。
ソフトウェア関連の報酬が安いことと、その仕事への投資額が教育資金に回っていないこと、ソフトウェアは著述業であることを隠していることも悪因である。
書くこと、提案すること、意見を言うこと、改善の意味を履き違えている日本の職場では絶対にソフトウェア開発は進展しない。
フラットな組織、何でも言い合える環境、概念実証とアジャイルが可能な風土、失敗をしても補える制度、競争が楽しいと思える現場の雰囲気、職場で働くことが楽しい目的になっていることが必要である。
サービス業も仕事をしたくないから始まって、どうしても逃げから入っているのであれば一種の居座りである。
逃げから入る仕事スタイルは日本経済への悪影響を及ぼして、さらなる需給関係にヒビを入れるだろう。
主要な経済活動から外れてニッチにもなっていない仕事、経営、サービス業、中小企業活動をこの際にチェックして排除することで新しい経済活動に誘導することだ。
きちんと働いていたものが生活に窮することはないが、それなりの痛みを味わってもらって禅問答を行う時間を必要とするだろう。
もちろん迷走している大企業の内部崩壊を食い止めるためには、内部事情に精通している人物から淘汰していくことだ。
現場の従業員と派遣企業を両方とも叩き潰すことで、この事業は成立する。
対角線上の敵をライバルに倒させろ!これがキーワードだ。
小池都知事が今回は頑張っているが、彼女の原動力は一体どこから出ているのだろうか。
東京五輪を進めていた勢力は敢え無く撃沈してしまったが、彼らも相当に頑張った。
その頑張りがまったく通じないレベルで、美味しいところをすべて掻っ攫ってしまったのが小池都知事だ。
愛知県をロックダウンから外すのは何故だ。
働き方改革が生活レベルで浸透するためには、一時休業が正しい選択肢だ。
一時休業している間に、世の中はテレワークの素晴らしさに打ち拉がれているだろう。
DeNAの南場氏が成長を語っている。
仕事は50%で成功するレベルで行って、競争環境の中で働きかけるべきであり、失敗と成功の兼ね合いが雰囲気を醸し出すのは分かる気がする。
Microsoftの澤氏が外資系と日本企業の差異を語っているが、どう考えても物事の発想の起点が違う。
共通するのはオペレーターを中心とした操作系を仕事の中心に据えてしまう事は、顧客重視の観点からはズレていることだ。
ユーザビリティを中心とした仕事環境を整備するためには、現場中心の仕事はタブーである。
常に顧客目線で仕事を設定し、必要な人材を集めて、売れる商材を想定した現場主義を貫くことが必至だ。
能無しだから現場で働いていた時代から、次第に仕事を隠してしまうことによって聖域を設けてしまったことでコントロールが不可能になった。
一種のボイコットを許してしまったからだ。
ある一定のペースで職場の人事権を掌握し、内情を把握し、不要な人材を排除しないと本社機能は無効化する。
この状態が日本企業を倒産に追い込んだ。
日本経済、日本企業、日本の中小企業や零細企業の有様を克明に反映して、実態の解明を把握することで調整が可能である。
ここでも法律の悪用、役人仕事の弊害があるはずであり、雇用の継続と企業の衰退が正比例の相関を示していることが分かるはずだ。
影に隠れている従業員をチェックして、その行動パターンを見ることで企業の成績が低下していることが分かる。
現場に丸投げをしている日米企業は、早急に禁止事項として掲げるべきだ。
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