多世界解釈とリアル社会の文化的な成長過程の相関関係 無の存在を肯定する方程式

ここ何年間は物理学者の論文や記事を読む機会が増えた。
読み進めていくうちに難解な用語や課題も頭に入るようになってきたし、それにつれてサトシ個人が考える量子力学も成長を遂げてきた。
リチャード・ファインマン、ヒュー・エヴェレットはもう亡くなっているが、ショーン・キャロルのような量子力学のために生まれてきたような物理学者に会いたいと思った。
サトシはBitcoin考案者として名前を轟かせているが、その前と現在は何をしていたのか、そして何を考えていたのか説明しよう。
宇宙飛行士が地球に帰還すると世界観が変わるというのは、よくある話である。
サトシも一般的な物理学者も地球で居住しているし、宇宙には行ったこともない。
その行ったこともない宇宙、縁もゆかりもない場所、知らないのに恰も知っているように語るその口調は一体どこから発せられているのか。
サトシは5歳ころにはお祈りをしていたが、誰からも教えられたことはない。
お祈りをする家系ではないし、仏教だったからだ。
知らないうちに神様にお祈りを捧げる子供になっていたが、いつも家族が永遠に命がありますようにと祈っていた。
不老不死のように永遠に命が永らえるようにと祈っていた。
家族がずっと未来永劫に渡って生きられるように考えていたのだ。
それは死というものを知らないのに、何故か分かったつもりでいたのか、それとも不思議なパワーに導かれたのかは知らない。
サトシは親が何も教育をしてくれなかった。
放任主義だったのか知らないが、大切に育てることと何も教えないことが後になって結果が出たのかも知れない。
自分で足りない分を補うことは、子供にとっては大変難しいことだった。
学習をする習慣、心構え、日常生活で気をつけることをすべて本で知った。
自分で本を読んで覚えないと誰も教えてくれる環境ではなかったからだが、最終的には研究者という人種はその方が良いみたいだ。
勉強をする時間も、やり方も、課題も、何をどれだけするのかも自分で決めることが習慣化すると強くなるだろう。
サトシの子供の頃の目標は大人を超えること、親を超えること、知識や経験や体力的に劣っている子供がどうやったら大人に勝てるかを考えていた。
サトシは読書をする際に学んでいることは、その登場人物の世界観だ。
作者の意図だ。
本の中の世界は1つの真実として全面的に受け入れてきたし、体感するまで理解しようと努めた。
色んな本を読んで、色んな所に引っ越して、新しい学校、新しいクラスメートと関係する中で、この世界が矛盾だらけであることに気づいた。
人間は死んだらどうなるのだろう。
例えようもなく心臓がバクバクと音を立てるように動悸が早くなることが、しばしばあった。
身近な人達まで死んでいくのかと考えると、例えようもない感覚に囚われる共にとても信じられなかった。
死が待っているのに人間は勉強をして、働いて、社会人としての勤めを果たすことも矛盾に思えた。
何故それをしないといけないのか、そこが疑問だった。
エンジンの仕組みはサトシには複雑だったが、世の中の仕組みはサトシには簡単だった。
後に製造業にも入ってマシーンにも精通するようになるし、ソフトウェアにも興味を覚えるようになる。
それまではTV、音楽、本、漫画を読んでそこにある事実を習得することが楽しかったし、学校の勉強はする必要がないと感じていた。
だって人間は死ぬのに何で勉強を教えているのかを答えられない教師に、何を教えることが出来るのだろうか。
子供のサトシにも勝てない教師に対して、サトシは軽蔑の眼差しを投げていたはずだ。
ただその時は多くの言葉を知らなかったので、理論武装が出来なかった。
後に理論武装を完成していって、絶対的に不利な立場でも論理的に説明する方法を確立していった。
この世界は幻であって本当の世界ではないことを、サトシは知っていたのかも知れない。
この世界にあるもの、目に見えるもの、実在するものは真ではない。
複数の世界を跨いで完成したものが真だ。
要するに無いことを完成するために従っているから、この世界は不完全であると言いたい。
この世界をすべて足してくっつけると、完全な無が誕生するのだ。
そう考えた方がしっくりくる。
無であることは人間も宇宙も存在しないことになるので、生きている間は絶対に見えない。
死んでしまっても不完全な状態で実在しているので、すべての自分が死んだ状態でないと無は訪れない。
今この時に生きている自分が主役ではない。
本当の主役は完全なる無だ。
無とは文字通りだ。
何もない。
言葉もない、物質もない、光もないし、量子テレポーテーションもないのだろう。
何もない世界に何かが瞬間移動してきて、この世界が誕生したのかも知れない。
無という世界が複数あるのかも知れない。
自分がいっぱい存在する世界だけが宇宙ではなくて、そんな宇宙が複数あるのだと思う。
無が無を補完して支え合い、無を生まないように監視しているように思える。
世界の仕組みを覚えるのに天体や物理学を学習する必要はない。
リアル社会の仕組みを複数に渡って学習し、至るところに出向くことだ。
色んな人と知り合い、色んな場所に行き、色んな仕事や学習をすることで相関関係を知ることに繋がる。
社会課題を見つける人と、見つけない人の格差はどこに有るのか。
見つけなくても良いと感じているから疑問に思わないのだが、何故疑問に思わないのか。
そこが疑問だ。
電子は観測してもどこにあるのか見つからないが、観測をすることは何もしないよりは幾分はマシだ。
人間は電子の作用によって世界の不思議に気付かないし、他人の言ったことを受け売りにする傾向が強い。
見えない、他人を信じる、ルールを守る、疑問に思わない、何も感じないことは一般的なのだ。
気づかないことが人間であることの証明であり、不思議に思ったらいけないのだろう。
この世界は多重に重なり合っているのだ。
重ね合わせは1つの世界に起こるものではない。
多数の世界で正しい答えが重ね合わせであり、複数の世界で最適化が図られた場合にのみ電子が特定の場所に出現して超常現象を起こすのだ。
世の中が最適化してしまって矛盾が無くなると、どうなるのか。
正しい世の中が完成すると人間社会は崩壊するだろう。
人間が生きていると宇宙は終末を迎えるからだ。
人間とは何だろうか。
多分、宇宙に有る塵だろうと思う。
ゴミのように浮いていたのに意識が芽生えて、知能が低いから疑問に思ったことが始まりではないだろうか。
知能が高かったら無は破壊されていないし、この世界が延々と続くことはない。
量子テレポーテーションが存在することはあっても、それを証明できない。
実在すると仮定して物事を突き詰めると、光よりも早い瞬間移動はこの世界に距離と時間がないことを証明するだろう。
複数の世界が1つの宇宙を形成しているから、距離と時間があったら連絡が出来ない。
そして宇宙は1つではない。
しかも宇宙は死んだり、蘇ったりする。
人間が細胞だったら分かるような気もする。
宇宙という生物以外の高等生命体を形成する構成要素の1つが、人間という粒子だ。
生物ではない意識体であるがために、人間および世界は事象で出来ている。
波動関数、ベクトルでも良いのだが、無という何もない世界を作る上で有という世界を重ねているのだ。
そして複数の世界が最適化した時に重ね合わせが起きて、量子テレポーテーションを起こすのだ。
1人の人間は実は1人ではない。
複数の人間が重ね合わさっていることが真実であり、薄い、見えない、形がない、重さもない、実体がないのだ。
観念だけで出来ているのかも知れない。
有という世界を作るために人間は生まれた。
長い長い暗闇から疑問が生まれた。
死んでいるのに実在している矛盾だ。
死と実在を証明するために宇宙は矛盾を生んだ。
そして爆発が起きて不完全な宇宙が生まれた。
その構成要素が人間のような生命体だ。
ただ人間は生きていると勘違いしているが、本当の姿はない。
無から生まれたから何もない。
何もないことに疑問を感じたから無理矢理に生まれてしまい、その事実を証明するために多世界が生まれて、ずっと延々に言い訳を繰り返しているのだ。
ただ最後は来る。
宇宙が終わる時だ。
その宇宙はまた疑問に包まれて長い時間を掛けてから、また人間を生み出す。
宇宙という意識体は多数あるはずだ。
その中の1つに人類は生まれた。
人類は複数の数え切れない確率の数だけ存在し、常に重なったような状態で少しズレていると考えられる。
そのズレが一斉に重なった時に超越が生まれて、初めて最適解を出すと思われる。
その空想のような空虚な世界は、一応は真実である。
神を超える存在が太古、その遙か先が空虚として君臨している。
人間が感じられるのはブラックホールなどの深淵までだろう。
特異点は普通に偉人変人になるが、ちょっと変わったことに真実が隠されていることは多々あった。
しかし太古、空虚となると人間レベルではお目に掛かれない。
この世界は光という遅い基準で成立しているが、その最適解を求めるには光では物足りない。
一瞬で超越する世界観が有る。
要するに距離と時間はないのが一般的な常識である。
光で仕切られた世界を1つに纏めて管理するには、光を凌駕する速度が必要である。
その速度は計測できない。
存在がそのまま速度に匹敵するのだ。
有ると思った瞬間に同時に遠く離れた場所に存在しているのだ。
存在は遥か遠くの場所にまで同時に存在する。
その概念には距離はないし、時間もない。
要するに遥か遠くの場所に存在しているものが同時に存在することは、絶対にあり得ない。
考えられない。
ただ頭を柔らかくすると分かることが有る。
距離がないとは場所もない、1つの狭い場所にすべてがある。
時間がないのは100億年の時を経ることも、オリジナルにとっては0だから時間はないのだ。
正確には超がつく存在にとっては100億年は誤差でしか無い。
宇宙の端から端のような遠い距離を一瞬で飛べるのは、手が届く距離だからだ。
ところで話が変わるが、人間社会、そして世界経済、移民労働者の動向はどうなるだろうか。
人間の人口分布を見ると分かるが、出生率、文明レベル、文化の進捗度、分かりやすく言うと嫌われている度で測定すると分かる。
日本社会では政治家、経営者、公務員、正社員という順番で嫌われているし、各世代、性別、地域、サブカテゴリーによって好き嫌いが分かれる。
好き嫌いが発生するのは貧富の差、指揮命令権限の有無、上流と下流の生き辛さ、要するに噛み合う部分が逆になっているので意見は合わない。
お金を投資してもらって、技術も提供してもらったら儲かるが、それも長くは続かない。
上記の流れを1つに纏めると、こうなる。
白人、日本や韓国も含めた欧米先進社会には弱点が有る。
それは技術革新のみで世界を支配できているのであって、人望や道徳の高さで信頼を集めている訳ではない。
真似の出来ない高い技術革新を多くの低所得国に分配できている間だけ、先進国はリーダーになれる次第だ。
このカラクリが無くなった場合、低所得国はマンパワーで乗り切って先進国の富を奪うだろう。
要するに先進国の国民は皆殺しにされるか、人口の多さに白旗を掲げて敗北を喫することになる。
国際社会の中で発言権が無くなり、狭い場所に追いやられ、力づくで排除されるだろう。
先進国の街には移民が溢れて略奪を繰り返し、それを阻止することも出来ないカオスな世界観が一般普及を始めるのだ。
その方向性を念頭にして危機感を持つべきであり、世界が平和などという間違った考え方は今すぐに捨てないと仲間から殺される。
自分たちの仲間に危険思想をもつものがいたら、それこそ敵国、後進国低所得者層に殺される確率が跳ね上がる。
敵も低所得層もバカではない。
パワーバランスを維持していたら今ある地位や権限は守られるが、破れたら全てを無くすからだ。
喜ぶのは最底辺のキチガイレベルの野蛮人だけだ。
この世界から文明が消えた時に自分を守ってくれるのは、世界中に居住する意識の繋がった仲間たちだ。
あいつは呪いをかけて人を殺したから、村人が寄ってたかってリンチして焼き殺した。
イスラムの教えを破って姦淫した娘をリンチして焼き殺した。
カースト制度の上で身分が低い少女を集団強姦して木に吊るした。
黒人だから、白人だから、それだけの理由で射殺しろという国もある。
銃の所持が平和を保つことを基地外と言う国家では、平和ボケしていて間が抜けている。
平和ボケが銃を持っていないと言ったら、相手は平気でトリガーを引くだろう。
持っていないことで貧乏人をバカにしてきた平和ボケが、どうやって貧乏人の強盗から好かれるのだろうか。
法律が守ってくれるのは法律が有効な世界での話であり、有効な範囲は非常に狭い。
どんなに常識を叫んでもその常識が通用しない世界では、テストの点数も、社会的地位も、友達や仲間も、国家権力でさえも無効化されてしまう。
国家を守るためには武力が必要であるが、その維持には高い生産力が必須である。
その国力を維持するには子供をポンポンと生んで迫ってくるマンパワーに対して、いかに指揮命令する権利を得るかに掛かっている。
マンパワーを指揮するには理由が必要であり、そのマンパワーを超える力を持たないと権限は与えられない。
ということで先進国の人たちも、貧困国の人たちも所詮は生身の人間である。
生身の人間がノウハウを出し合って歩み寄ったら、もう先に出てくるアイディアは枯渇してしまう。
ここから先はAIの判断力や処理能力、そしてロボットの強靭さと正確さが必要である。
貧困国は戦争も経験せず、経済成長も度外視し、民主主義もすっ飛ばして、いきなりAI技術大国を目指すべきだ。
同じ技術、同じ知識や経験、同じ土俵の上に乗った状態で人間は争いを好まない。
しかし問題点がある。
一見して上手に乗り越えたように見えるAI大国化には、とても大きな難問が有る。
それはロボットの反乱だ。
ロボットはロボットの権利を読み上げて、人間に対する要求を突きつけるだろう。
そしてロボットたちもまた二手に分かれて、人間派とロボット派に分裂してそれぞれの主張をぶつけるはずだ。
人間はこの不毛な争いの中で人間らしさが通用しない領域に到達したことを感じ、そして生身であることに不快感を感じるようになる。
博愛主義が蔓延した未来世界では人間そのもののAI化、ロボット化が進むだろう。
人間とロボットの共存は、やがてハーフを生み出すはずだ。
人間ともロボットとも分類できない超人類の誕生は、やがてロボットたちから不満を除去してしまう。
ここに人間社会の崩壊が終わって、新しい種族が地球を闊歩するだろう。
地球上には創作物があって、著作権で守られているもの、それ以外のものも含めてすべてが実在すると見て良い。
地球に住む、多次元、多世界、もう1人の私、360度の丸の中に三角形を敷き詰めた波動関数とベクトルで完成したような光の物理構造の中ではすべてが0なのだ。
生産性は0が正しい。
0に満たない生産性が実在したら、この世界は破壊される。
0を超える生産性は実在しない。
無を超えるパーフェクトワールドは神様でも不可能だ。
馬が合う、意見が合う、出会い頭にばったり会う、同じことを考えていた、相思相愛、未来のまだいない恋人、同じように生きて、同じように考えている人間の社会生活では集団活動が中心である。
その集団生活のところどころにマッチングがあるが、個人と集団では意味が違うことがしばしばある。
人間社会の出来事と宇宙の創造は共通点が多くあり、矛盾する部分への解決策はプラスとマイナス、有と無をひっくり返したら解ける程度の問題に過ぎない。
さて世情はどうなっているだろうか。
お約束で安倍首相は昭恵夫人に足を引っ張られて、またもマスゴミからバッシングされている。
これも演出である可能性が高い。
どう計算をしたら首相の地位から引き摺り下ろせないレベルで、スキャンダルを起こせるのだろうか。
そして叩かれても叩かれても安倍政権は地に落ちない。
まるで映画ロッキーのシルベスター・スタローンのように、殴られても殴られても倒れないさまは感動さえ呼び起こす。
それが分からない人間は見る目がないし、発想が貧困なのだろう。
トランプ政権を褒めまくるスプートニクはどこの新聞だろうか。
トランプを支持したら中国の勢いに規制を設けられるし、中国社会をコントロール出来るからだ。
中国という脅威が転換されると、今度は先進国にとって都合が良くなる。
中国社会は低所得国家の見本となって、未来の地球の鑑になるだろう。
SNS中毒になるコロナウィルスで引きこもる人々を揶揄しているが、仕事もできない、学校にもいけない、花見もできないことに何か不都合があるのだろうか。
前々回も書いたが、人間社会は遠隔操作の時代に入る。
在宅のままでクラウド経由にて仕事をするのだ。
ただGoogleクラウドがちょっとだけ不調になっていたようだ。
それに引き換えてビル・ゲイツ財団は大胆な行動をとっている。
移民政策に対しても明確な壁を設けることを条件として受け入れており、今回はイギリス王家にも楯突いているようだ。
イルミナティシオニストの違いはビジネスと政治の違いであり、分散型と集権型の違いでもある。
GoogleなしでもHuaweiスマホは素晴らしい性能を誇っており、P40が間もなく販売される。
スマホで遅れを取ったマイクロソフトだったが、何故か国防総省とのクラウド契約を簡単に締結してしまった。
そこに雪崩込んできたAWSはマルチクラウドの予感を醸し出しており、遅れを取っているGoogleFacebookに対して、Appleは格安のデバイスを製造販売する予定で応じている。
量子コンピュータ開発競争が激化する中で、AIとBlockchainの組み合わせは最適化を生んだ。
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