量子アニーリングと最適化問題から一般社会を問う 森羅万象の中にある非凡さ

量子コンピュータの開発が進んでいる。
それと同時に日本政府も重い腰を上げてBlockchain政府を作る計画らしい。
またアートを科学的に教育に取り入れたり、学び方として新しい言語や数値として導入する動きも出ている。
監視カメラが重要な要素になっており、従来のレンズを重視したアナログさを改善する必要がある。
レンズから見える世界をデジタル化して見えるようにすることで、聞く、感じる、思うと続いて次の予測に繋がるだろう。
結果的に量子力学を利用した夢のようなコンピュータは、それだけで完結しない。
この偉大な発明は宇宙の偉大さに比較すると、それほど偉大ではないのだ。
そして量子コンピュータチューリングのような考えで解こうとしても成功しないし、アニーリングのように技術は宇宙物理学からかけ離れても成功はしない。
宇宙の謎を解くことが画期的なコンピュータ開発を成功させることに繋がるし、この世界の不思議が実は不思議ではないことに繋がるのである。
人間の能力は性格の分だけある。
一人の人間に合致した教育など、その本人にしかわからない。
サトシは驚異的な吸収力で世界を股にかけて成功を収めているが、その成功の裏にあるのが反対側の粒子であるバカ嫁の存在である。
ドラマのテセウスの船でも演出がされている。
竹内涼真と恋人役の関係がどのタイミングでも大きく繋がっていることが、その証拠でもある。
科学的には証明されていないが、この世界には反対側の存在が必要である。
2つで1つの存在として君臨していないと、その実在が証明されないのだ。
押し合う力と引き合う力に対して、押したら引く力と引いたら押す力は2つの存在を表していると考えている。
磁石のN極とS極の関係が実は人間にも適用されていたら、この世界を解く鍵にはなるだろうか。
不思議な現象を発見したらすぐに身近な話題に切り替えて、当て嵌めてみることがとても大切だ。
大きな事も小さな事も、あらゆる物事をかき集めて分析してみよう。
きっと世界の7大不思議さえも簡単に紐解けるだろう。
優秀な人間と凡人の違いは、この大小、場所、距離、時間などの物理的な問題を超えて物事を知覚する能力に違いがあると考えている。
量子アニーリングで難解な数学を解くというチャレンジと、サトシはほとんど接点がなかった。
量子コンピュータの問題に行き着いたのも、結果的にはFinTechの拡大、BlockchainやBitcoinとの関連性にある。
従って無視しても構わないし、知らなくても良いし、学習する必要もない。
しかし量子力学を解いたり、量子コンピュータの開発に参加することが重要であることは間違いがない。
今まで取り沙汰されてきた時事問題、教育や文化、生活に至る問題さえも、結局は科学と繋がっているのである。
そして難問を解くと簡単な問題も同時に解けるのだ。
いとも簡単に解けてしまうのは不思議ではないし、凡人が見向きもしない分野にこそ真実が隠されていると言える。
凡人にはこれが関係ないと決めつけるし、目の前にある課題や命令しか意に介さないから何も気づかない。
人が入り込まない分野にこそ真実が隠されているし、謎を解くヒントが隠れているのだ。
サトシにとっては1つの大企業を倒産に追い込むことは、至って日常生活である。
コロナウィルスで大勢の人が死ぬことも、サトシには日常生活である。
不謹慎ではあるが、今回のウィルスで人が死んだことは喜ばしいことである。
生き残った人は運がよい訳でもないし、助かった訳でもない。
もしかしたら死んだ人たちが、明日マシンガンを持ってスーパーマーケットに無差別テロを起こしていたかも知れないのだ。
人は常に死と隣合わせに居る。
死んでいる人と生きている人に格差はない。
死ぬも生きるも同じことであり、人殺しは宇宙の創造に欠かせない必需品かも知れない。
人が死ぬと宇宙は大きく開発が進むのだ。
人が死なないと代わりに貢物を出さないといけないが、それが量子力学の謎を解く事かもしれない。
人が死んで国家が完成し、連合組織も誕生し、共産革命で多くの人が死ぬ傍らで自由と平等を掲げて経済を発展させてきたし、人類は常に巨大な発想を元にして活動範囲を広げてきた。
この人間の営み、文化、慣習、考え方、歴史にこそ宇宙の謎が隠されているはずである。
凡人はそんなことには目を向けないから、サトシは大喜びで研究を続けられる。
宇宙の神秘さの中では人が死ぬことは、粒子が衝突して消滅することと同じレベルの小さなことである。
死なないと生まれない。
誰が?
自分がだ。
自分が生まれるためには死ぬことが必要であり、大きな意味の死は宇宙を大きく揺るがすだろう。
小さな死、意味のない死、迷惑な死は自分を殺してしまうはずだ。
英雄になって大勢を殺すことは偉大な宇宙と人類の未来に役立つが、無駄な死は誰かの肥やしになるだけで終わる。
サトシ的には肥やしを多く抱えて滅びてもらうように誘導し、多くが犬死してくれると成功する算段である。
宇宙の法則と人間の法律は対の関係であろう。
賛成と反対の中にある軋轢は、勝者にすべての権利が行き渡る。
敗者には何も行き渡らない。
だから分けて貰うしか無い。
分けることが正しいことだが、あまりにも自由であると分けるための措置が疎かになる。
だから自由と平等は両立しないと言える。
サトシが不思議な人生を歩んでいるのも、著名人の中の著名人として暗躍しているからだが、本当にひょんなところから生まれた感じだ。
ここまでの軌跡は日本人では味わえなかったことだらけだ。
外国に居住しているイノベーターたちは巨万の富と不思議な体験を通じて世に出ているが、日本では知識と経験が既存の中から受け継ぐことで認められるために蓄積する期間が短いと生まれない。
それが今のインターネットで繋がってしまった世界観では、日本の所有するノウハウは真似される程度のレベルでしか無いから破れたと言える。
反対の位置に生息する粒子が、自分にとって鍵になる。
どの世界に行っても必ず何らかの形で出会うだろう。
いつも磁石のように引っ張り合ったり、押し合ったりして力の均衡が図られているが、2つで1つの存在を示すこの現象はまさに自分そのものであろう。
もし賛成派と反対派のリーダーが実は仲間だったらと考えたら、この世界に偶発というものは存在しないことに気づくはずだ。
無計画であるのに計画されているかのように、碁盤の目みたいに正確無比に物事が決められているのだ。
その作用をするのがプラスとマイナスの力作用であるし、右と左、上と下、男と女のように反対の作用をする存在が必ずある。
位置関係、力関係、無数にある因果関係を計算して捉えることは不可能だから、数学もコンピュータも不完全なまま人間が奴隷として働いてきたのである。
この人間が活躍してきた時代を変更してAIが代理を務める時代では、いつか人間は滅びるであろう。
しかし人間には安楽が訪れるし、もっと違う存在になるはずだ。
何らかのパワーや変化に対して人間が一定の範囲で力の作用を維持してきたが、その犠牲的精神は地球を環境破壊から守れなかった。
そして計画的とも言える人類が未来に進む姿は、何らかの不思議な力が作用しているはずだ。
その不思議な力関係を紐解くのが量子コンピュータであり、人間のような曖昧な判断を瞬時にできるように仕組まれている。
記憶と計算が具現化してきた現代のコンピュータ社会では、人間はより一層の奴隷として働いてきた。
計算が早くなっても仕事は減らなかったばかりか、逆に増えたからだ。
曖昧な計算が可能となると人間が介在する数学は、極端に減るだろう。
それは処理、確認、コピーを自動化してくれるからだ。
AI社会は膨大な電力コストを被るばかりか、環境破壊にも繋がる。
だから量子コンピュータが必要であり、不思議と人間の知性は環境に良いのである。
記憶を無駄な計算で片っ端からやっつけるという発想は、膨大な電力を無駄にするばかりか人間もバカみたいに働く。
数字や言語は人によっては違うニュアンスで伝わるから、一定の範囲で認識をされないジレンマがある。
理解力が取り沙汰される時代になっているから、人類が共通の表現を利用する必要がある。
それがアートであろう。
見たものを心の中に転写すると同時に、多くの人たちに心のアートが可視化されると良い効果が生まれるはずだ。
アートの効果はそれだけではない。
数値化が不可能なもの、言語化が難しいもの、より複雑な問題をアートで表現することから統計としてデータを記録していくことで成果が出るのだ。
イジングモデルは粒子が同じ方向を向いていないといけないが、その状態を保つためには人間社会で例えると悟りに近いだろう。
絶対零度に近い低温状態では粒子が均一になり、そして超電導状態になる。
定温の状態でも可能と解いたのは、このイジングモデルがノイズの影響で測定できなかったからだ。
ノイズとはなんだろうか。
そのノイズを除去する方法はないだろうか。
遠い距離にあるとノイズは少ないが、遠い距離にあると感じることは難しい。
しかし近い距離にあるとノイズが多いというのは、人間社会でも同じである。
近い距離に存在するものはライバル関係であり、欲しいものは少ないと言える。
遠い距離は妨害するものがないから成功しやすいし、欲しい物が眠っている可能性が高いと言える。
人間は遠くにまで意味もないのに移動しないし、遠いと人が集まらないからだ。
都心の便利だがコストの高い暮らしと、田舎の不便だがコストが安い暮らしの差であるし、総じて田舎はノイズが少ないが、都会では逆にノイズが人間を情報から守っていると言える。
ここに人間社会の力関係、因果関係、未来と過去、リアル社会での生活、宇宙物理学、脳科学、AIなどを比較してみると人間は宇宙空間で生きられないし、簡単に宇宙に進出できないから理解を示さないと分かる。
分からないから後回しにしているし、宇宙の原理を無視して物質を騙ることは困難なのに敢えて目を向けない。
人間にテレパシー能力があっても言語が違うと、何も伝わらないのか。
共感能力とはアートそものであるし、見たもの、感じたもの、これから起こることを予測することだ。
その共感能力が存在するならば、統計にとったデータから粒子の動きを予測して計算を早めることは可能だろう。
上記の部分は未知数の部分だから断言ではないが、量子アニーリングの性質上では無くてはならないものだ。
量子アニーリングを何に活用するかと言うと、人間が良いと思う効果の最大値をデータ化して粒子の動きを統計にとって把握することだ。
その統計と同じ粒子の動きが判明した時に、量子が重なり合って居るはずである。
ただ現在の最大値であって、まだ見つかっていない最大値があるかも知れない。
さらに良いとされる影響や社会現象が、実は最悪な社会問題を引き起こしている可能性もあるのだ。
そういった方面でもアートは役に立つ物差しである。
AIはアートを理解することで計算能力を高めるし、人間にも判別しやすいデータを提供できるだろう。
粒子が同じ方向を向いていないと、実験のための計算ができないのだ。
人間社会は絶対零度でもないし、均質の粒子でもない。
それなのに量子の重ね合わせが必要であると同時に、この社会で具現化出来るのだ。
人間は常に量子の重ね合わせを利用して脳内で判断を下しているが、そのメカニズムはまだ解明されていない。
ここは宇宙空間ではないのだ。
人間から見た宇宙と地球の環境の違いは、麻薬効果と同じもので錯覚の可能性もあるはずだ。
信じると強い結束力を生む人間は、総じて騙されていたいと感じている。
騙されていると知りたくもない現実を受け入れる必要がないから、この世界で自由に生きられる。
自由とは制限が加えられていて、さらにキャパシティを超えて考えないでも良い暮らしを指している。
ありとあらゆるものを個人が用意しないといけない暮らしを、現代人は望んでいない。
知らなくても良いものを知る必要がない暮らしとは、見えないものを見ないように出来る機能でもある。
遠くは見えないが近くは見える、遠くは誰も行かないから総取りできるのに、近いと競争が激しくて得るものも少ない。
しかし危険を冒して冒険をする勇気を人間は持たないのは、近いところで安住するプロログラムが働いていることと、見えない方が何かと都合が良いからだ。
遠い距離にある巨大な恒星が爆発しても、地球に届くのは遥かに先のことだ。
これは脳の深層心理に当たるはずで、とても古くて引き出せない記憶ではないだろうか。
花が咲くという現象は、生命体が映像となって具現化したことと同じではないだろうか。
ある存在と他の存在を掛け合わせて新しい考え方に転じることは、非常に科学を身近にするし、問題解決を早める結果になる。
日本社会の課題である中高年の引き篭もりの原因は、この関係に酷似している。
宇宙の法則と人間社会の類似点を抽出して検討し、その疑問から解決法を網羅するとやがて量子コンピュータが誕生するであろう。
遠くに目を向けない中高年はノイズが走る不協和音が好きであり、常に何かと戦うために延々と同じことを繰り返しているのだ。
いつの時代も同じ手口が通用すると考えているから、滅びるのも早く一定の間隔で狙われる。
均質な粒子が並んで同じ方向を見ている状態とは、現代社会ではスムーズに物事が進んでいる状態を指している。
その状態を数値や言語で表現するのは難しいが、最適化という単語が表現としては良いと思う。
そのちょうど良い感覚を他の場所や仕事でも模倣が出来たら、会議を何時間も開く必要がないし、議論の余地もなく、アート、または量子重ね合わせ判定、さらにこんな感じで最適化が求められるのである。
何が良いのか分からない現実社会では、物事の判定を長くいる人、成績が高い人、他人から評価されている人に意見が傾くが、この導入をすると一気に間違いが指摘されて過ちが露見するのである。
サトシは直感的に変だと感じると、やっぱり変なことが起こると思っている。
それだけ場数を踏んでいるから空気が揺らぐというのか、変な匂いがするというのか、いきなり変更になるというイベントそのものに違和感を感じるのである。
イメージトレーニング、妄想、サクセスストーリー、空想は科学的に教育にも技術進歩にも応用されているが、これを他人に簡単に移植するには難しい手順を踏む必要がある。
言語や数字は万国共通でもないし、一定のスキルが必要だからだ。
上記のイメージを相手の脳に直接的に転写できたら、この途中のイベントは省略されるのである。
ところでWindowsOS、Intel製CPUは一体どうするのだろうか。
ARM製のCPUが優秀であり、クアルコム製CPUもベンチマーク性能が良好である。
しかも5Gに対応していることから、1つのSoCで計算、通信、グラフィックを賄えるのである。
サトシはパソコンのカタログをよくチェックしているが、今日はChromeBookを購入しろとの催促が来た。
一昨日まではWindowsパソコンのオススメが多かった。
要するにモバイル、ノートPC、タブレットは過渡期にある。
Huaweiに規制が入った時もタブレットで独占的な地位にあったからだが、また盛り返して優秀なタブレットを販売予定である。
ChromeBookに異変が起きている。
アメリカ直輸入でARM製CPUのChromeBookが購入できるらしい。
価格はIntel製の半額でありながら、性能は1.5倍という破格値だ。
コストパフォーマンスを考えると、簡単には手が出ない。
iPhoneも低価格商品を出すことから、色々と今買うのは控えるべきだ。
Intel製には脆弱なセキュリティホールが見つかったらしく、意図的に誰かが侵入して操作できるようになっていたらしい。
ロシア製のカスペルスキーIntel製CPUは、何のために存在していたのだろう。
だがARM製のCPUも中国で製造しているし、イギリスのARM社もオープン開発であるRISC-Vにシェアを奪われるだろう。
建設業が設計と工事が別事業になっている通り、半導体も設計と製造は別の事業である。
企業が巨大化した中で事業を進めるとコストが跳ね上がるが、個人が設計してオープン化すると人件費がほぼ無料になる。
人数、設備、土地、技術開発が個人に委ねられたら、大企業は一溜まりもなく倒産してしまう。
ChromeBookが単純に安いから買うという発想はいただけない。
ゲームが遊べるChromeBookとしてリニューアルされる予定であるが、Studiaの導入が始まる予定である。
AMDがデータセンターでもIntelを凌駕しているとのニュースも発表されていることから、後発組が鎬を削るCPU開発は待ったなしだ。
ところで日本政府がBlockchainを活用して投票、金融取引、納税、不動産取引などを行政と企業と国民がカバーし合うように取り組んでいる。
クレジットカードや不動産取引は資格、企業、事業、国境、民営という点で非常にコストが高く、そして国家行政が入りにくい場所でもある。
特に不正が出来ない仕組みが秀逸であるし、人件費も掛からないし、多くの参加者が募られるし、電力コストも改善されるであろうし、この仕組が蔓延するとネット掲示板の破壊力が認められるだろう。
ネット上の取引や会話の延長がチャットコミュニティであるが、そこに記録性、並べ替え、Q&A、IoTやRPAに結びつくコミュニティとして大きな活躍をするだろう。
そしてBlockchainは取引をスマートコントラクト化して自動処理をするためのネット掲示板として、正確に、そして安全に、取引や記録を残してくれる。
スマートコントラクトから始まる人類初の分散化システムは、やがて人類から労働を奪うだろう。
労働を奪われた人類は在宅勤務が当たり前の世界で、他人とダイレクトにコンタクトしないような忙しい毎日を送るはずだ。
サトシは書き込みをしていない間は調べ物で忙しく、あらゆる疑問を自己解決している。
マスゴミや野党が連日に渡って騒いでいる内容も、Blockchainワールドではすべてが解決される。
即ちマスゴミと野党は仕事が無くなるのである。
習○平国家主席国賓待遇での来日は無くなったが、来日しないなら問題はない。
中国が覇権を握ることはないし、米中蜜月または2つの超大国が冷戦を続けることもない。
2大超大国が連合を作って対峙する国際関係は、すでに昭和の時代に終焉しているからだ。
今後の国際社会と政治は分散化の波に押し寄せられて、個人が自己主張を叫ぶことが可能になる。
それは個性がビジネスとして認められるからだ。
具体的には嫌いな人間と無理に働く必要はないし、嫌な仕事を強制的に続ける意味もないのだ。
自分が主役、または準主役、そして美味しい思いを出来ないのに働く意義はないのである。
ポピュリズムとは大衆が個性を求めて権利を主張することではなく、自分の失った権利の正当さを求めて取り戻すことである。
サトシが上手に分配してあげるので、何も心配する必要はない。
移民を連れてきて安くこき使うという仕組みは無くなって、本来あるべき賃金が払われるべきだ。
安く働く、安く作る、他人を出し抜くという発想は談合、違法、共闘を生み出して経済を破壊する。
ジム・ロジャースがインドとロシアを持ち上げているが、北○鮮はどうなったのだろうか。
そういえば北○鮮情勢はかなり深刻であるが、劇的な進展はいつ来るのだろうか。
結果論としてのサトシの予想はあたっているが、途中経過を凌ぐ上ではそう簡単には進まない。
バランスが崩れると元の木阿弥だからだ。
悪の国家がいないと正義を叫ぶ国家の存在も希薄化して、何が正義で何が悪であるか判然としない。
どちらの陣営にあるか、どの思想を掲げているか、宗派や所属団体よりも同じ土地で居住するからには反対派には立たないで欲しい。
反対する人たちが活躍した時代は歴史の中に埋もれていき、やがて消滅するだろう。
反対を叫んで経済は良くならなかったし、安い労働者と安い商品が溢れて生活が苦しくなった。
反対しなくても、権力と戦わなくても、自分の好きなことをしても暮らしが成り立つ社会を作ろう。
人の目を気にしても良いことはない。
隣の芝生は青くはない。
個性と仕事がマッチングする時代では従順さとルーチンワークは、何の意味も持たない。
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