森羅万象を司る旭日旗の神秘性 ランダムな精神は2つの光子を自在に操る

寝相とか、同じ姿勢で座っていると、首、膝、腰を痛めていることに気づかない事がある。
何気ない生活の中で怠さ、痛み、凝りを見つけたら、生活習慣病の可能性が高いと言える。
同じ姿勢をずっとしていると思わぬところで急激な痛みに苦しむことになるから、寝ているときも、座っているときも姿勢を正すことが必要だ。
硬い寝具や椅子を使わない方が良いし、体幹と接地面がグラグラする方が姿勢を固定化しないようだ。
いつも思ったことを自分で試しながら結果を書いているが、誰かと繋がっている感覚が非常に役立っている。
普通に仕事をしている人に対して高度なことを期待するのは、非常に酷とは思う。
しかし過剰なまでに頑なな人たちが存在していて、彼らの行いを見過ごすことは出来ない。
命令されてヤラされているように見せかけて、実は上下の関係を操作しているからだ。
こういった不快な関係が出来てしまうのは、垂直的な命令系統の中に同期の桜などの地縁、コネ、世代間ギャップ、派閥があるからだ。
社長という絶対的なシンボルが一般的な社員と実は仲良しで、簡単に身内贔屓になる姿は異様過ぎる。
という側面がある中で、実はキャリア制度に不備があるといえる。
仕事ができなくてもキャリアとして人間関係だけをパスしたら、後は自動的に出世をしていく人事に問題がある。
これは企業にも官庁にもある習わしだ。
結果的に現場の仕事ができないトップたちが丸投げにしているから、自称労働者の貴族たちが猛威を奮うことになる。
彼らは分業を利用して勤勉さを放棄しているから、持ちつ持たれつの関係になるのだ。
自分の出来ないことを肩代わりしてくれる人たちを個人的に集めることが正しいとする企業文化では、公共的なルールや企業全体を包括的に纏めた取り組みができないだろう。
結果的に悪事に手を染めることに繋がって、気づいた時には手遅れになっている。
悪いことを集団でしてしまうと、後から抜け出せなくなる。
悪い習慣が一人歩きをしてしまい、あらゆる善意が悪い方向に流れていく。
時間と物質の状態の変化について、改めて物理学者が記事にした。
先に結果から書くと分からないことは、すべてカオスという現象に置き換えているようだ。
エントロピーの法則が正しいのは、物質が変化していくことは見間違いがないことだからだ。
劣化していく過程で元には戻せない物質の変容にこそ、この世界の真実があるようだ。
世界は纏まっていないし、どんどんカオスの状態になっている。
元にあった状態はどんどん複雑になって形を変えているが、また元の場所に戻ってくるし、元の形に戻るのだ。
この過程はすべてにおいて時間的な経過がないという意見を元にして、時間というものは過去に戻せるとしている。
すなわち形が崩れてしまった物質は、元に戻せるのである。
ここでは物質の形や性質が崩れても元に戻せると書いたが、実は場所も、タイミングも、確率も元に戻せるのである。
要するに言いたいことは時間はない、距離感もない、フィボナッチ数学のような自乗で重なっていく螺旋のような形状の世界なのではないだろうか。
時間がデータを更新するためのタイムラグだったら、この発想は頷ける。
時間に感じている誤差は、実は物質が変化して記録されるまでのタイミングであるし、人間が知覚できるまでの長さではないのか。
ちょっと微妙な感じになるが、時間という概念があったら距離もあるから、それを否定するためにはデータのインプットにタイムラグが有ると言い換えた方が妥当だと思う。
または物質が変化するまでの時間的な誤差が、実はそう見えているだけとは思えないだろうか。
物理学の世界だけの研究を現象として紹介しても、リアル世界では意味が分からないだろう。
ただリアル世界とは本物だろうかという視点が、とても重要になる。
間違った視点で物事を見つめていると、新しく発見された事実に疎くなるからだ。
それと同時にここで書かれていることで重要なのは、ランダム性である。
ランダムという人為的ではない仕組みがあって初めて、人間社会も、宇宙も状態を保つことが出来る。
人間社会で陰謀、策略、忖度からくる依怙贔屓などはランダムではないというが、そうとは限らない。
ランダム性を維持するためにある必要な措置は、すべてが自然の法則に即しているのだ。
もっと重要なことは過去と未来には、始まりと終わりの関係がないことだろう。
ランダムに物質が変化して、この空間さえも捻じ曲げて、時代を作り変えることが出来るランダムな確率の世界では有無の確認は出来ない。
生きている人間と、死んでいる人間は同意語である。
生きている人間と死んでいる人間の位置関係で、その場の空間も捻じ曲げられると考えると、CGを使った3Dゲームが理解できる。
よく機械系は線形代数で、ソフトウェアは確率や統計というが、その確率と線形関数が交わるところで事変が起きている。
自乗で倍々になって突き進む変化の激しいこの世界を、線形の光が幾重にも折り重なって物質を変化させているが、その確率はランダムであることから実は結果があるということに繋がる。
結果があるからランダム性が証明されないといけない。
結果がないのにランダムとは言い切れないからだ。
結果がある宇宙というのは過去と未来が逆転しているし、そのどちらも過去と未来ではないのだ。
現実の世界は過去と未来の相関関係の中で決まるから、常に光子を通じて見えているような錯覚をしている。
光子は粒なのに波のようになっていて、それが質量があるような錯覚と並行して厚みまでが感じられる。
直感や触感までが光子によって錯覚させられているのだ。
錯覚というよりも人間そのものが、この光子の世界の中で光だから仕方がない。
人間は確率で言動を変えているし、線形代数のようにして変化した社会で生きている。
要するに自分で発していない。
大いなる意志に従って人間はランダムに言動をとっている。
そう考えた方がサトシ的には分かりやすい。
自分を利用して実験してきたサトシは、100万Bitcoinを入手している現状から類推してそう考えるようになった。
いつでどこで人生は転機を迎えたのか。
サトシがBitcoinを考案して世に広めたことで、相当な嫉妬を抱いている研究者や開発者がいる。
そういった人たちを物ともせず君臨しているサトシを、一体どうやって説明をしたら良いのか。
デビルマンという漫画、デビルマンレディという漫画を読むと予め用意されたシナリオの通りに行動をしていると考えさせられる。
人間は光の世界の中で常にランダムな状態で確率的に生きているが、その形は360度の放射物を描いている。
太陽の紋章が古代に残されて言い伝えられてきたのは、それを物語っている証拠だ。
日本の旭日旗こそがこの宇宙の神秘を物語る真実なのだ。
そう考えるとBlockchainやBitcoinのシステムにおいて、ランダム性がどれだけ重要であるかが理解できるはずだ。
ただ誤解してはいけないのはランダム性が運任せであると勘違いしてはダメであって、そこは全体像をノイズが無いように調整することで良い状態を維持できるはずだ。
最初と最後が同じ答えならば、途中の経過がちょっとズレていても些細な問題でしか無い。
寧ろズレていることで骨格の歪みが取れて、正常な状態を保てるのだ。
世の中には色んな専門家がいる。
自分たちを狭い分野のスペシャリストとか、低レベルの分野とか、まだ日の目を見ない日陰者とか思わずに、世界との繋がりを持って自由な心で研究に腐心することだ。
ネズミを実験の材料に使って850GBの脳みそを具現化し、ブレインコンピュータを作る計画がある。
いずれは人間の脳にも電極が差し込まれるようだ。
この世界がコンピュータの中ではなくて、自然環境である宇宙が人間が編み出したAIを超える存在なのだ。
いわゆる神の存在とは宇宙の神秘性を説いている。
神道ユダヤ教などの古代宗教が否定されて迫害されたのは、今までの科学と宗教の裁判を見ていても明らかだろう。
信じない人、疑り深い人、新しいことにチャレンジ出来ない人たちは、宗教と科学の関係式を学んでもらいたい。
学問とはどこからどこを切っても、別分野でも、それはそれで共通点があるものだ。
そして大いなる意志に応じて、この広い世界を縦横無尽に旅をしてもらいたい。
世界には共通の考えを持つ友人たちがいっぱいいるからだ。
日本ではeスポーツが出遅れているのも、そして失われた30年について罪を擦り付けあっているのも発覚しないと考えているからだ。
曖昧な対人関係を希望する日本社会では、ズバリと犯人を突き出さない。
そこで甘えてしまった悪人たちは引退まで逃げ延びる事が可能になって、結果的に負債だけが残る。
個人が責任を取ることが非常に重要だ。
ランダム性を重視して不正を排除し、ノイズの低下を意識して耳を傾け、状態の変化をよく見聞して、初めと終わりの相関関係を凝視することで成功が手に取るように分かる。
後書いておきたいのは商売右翼は認めていないことと、それに対するカウンターも同意語だということだ。
予めサトシの方で提案していた計画では、ある程度の達成と報酬を手にした活動家を主流派から外すというのは昔から決まっていたことだ。
そして負けると分かっていても両陣営に別れたら良いので、一挙両得のような賭けに講じている連中を見過ごすことは不可能だ。
従って政治的な炎上を煽ってお金儲けをすることに対しては、一定の制限が設けられている。
http://bit.ly/37xFY7I