世界経済のデジタル化を阻む護憲派という守銭奴たち 大量生産と販売を助長するルーチンワーク思考の悪影響

Googleが転び始めたのは、面接方法に疑問を感じた時だ。
それまでは気づかなかったことが良かったが、気づいてからは社内での政治的なイデオロギーが変更になった。
学位を重視しすぎた為に取った措置が面接で不可解なテストをすることだったが、その採点がもっと不可解だった。
予め決まっている解答があるのに、それを不思議な質問と捉えて自信満々になって発表をしていたことだ。
クリエイティブ性や一般的にはない解答を見極めるための質問なのに、それさえも模範解答があるのでは意味がない。
日本で行われていたSPIテストというものも、それに近い代物だ。
試験に合格はしても無能しか生まれず、何も仕事に活かされないからだ。
特異な学習をしても、多彩なトレーニングをしても、万能なスキルを持っていても、たった1つの能力の前には役に立たないのだ。
それを人為的に捻じ曲げた状態で方法を編み出そうとしたし、他人に押し付けた。
これはユートピアでも、独創性でも、スキルアップにも繋がらない。
単純に記憶力の酷使と、依怙贔屓な採点と、無駄な学習時間が増えるだけに留まるからだ。
日本にはティール組織は流行らないと言うが、これについてティール組織とは何かを学ぶ必要もないし、本を1冊読む必要もない。
学ぶ必要もない理由は、答えがないものを学ぶことは出来ないからだ。
記憶重視の人と、積み上げるのが好きな人、命令に従っているのが好きな人、順番を重視する場合はティール組織的な考え方や風土は合わないだろう。
1から築きたい人、基本よりも実績が重要、論より証拠と思う人、順番よりも結果の人、とにかく集団行動よりも個人の方が力を発揮できる人はティール組織向きだろう。
といっても偏り過ぎてしまうと逆効果になるから、もっと接点を持ち寄って力を貸し合うことも大事だろう。
要するにこういう人もいるし、力の出し方が違うということを認めさせることだ。
圧倒的に集団行動の方が好きだという人間が多いだろうが、本音は違うはずだ。
家の中が好きでここで働けるならば、どんな仕事もOKという事もあるだろう。
大量生産に慣れ親しんでしまった結果、もう普通にモノを作っても需給が一致しないからだ。
この段階に来てまでも大量生産に拘っているのは、何故だろうか。
生活レベルまでもが大量生産に染まっているからだろう。
病院で生まれた時から幼児として過ごした期間も含めて、1度に大量に処理をすることが正しいと学んできたからだ。
一度に処理をするために犠牲にしていることについては、何も学んで来なかった。
現代社会の生産システム、教育システム、集団行動はすべてが人の犠牲の上に成り立っている。
犠牲があって初めて成立する大量生産なのに、その販売も大量の安売りに秘訣があった。
作るのも買うのも貧乏人の役割なのだが、その不自由さから逃れるために他人を犠牲にしてきた。
ではお金持ちはスマートで優秀なのかと問われたら、明確に違うと言いたい。
先に生まれただけで特権階級に仕立てられたのであって、何も能力などはない。
何も苦労をしないであらゆる物を手に入れたし、その富を独占しているだけに過ぎない。
急激な円高で自分たちが困った時は、平気で血分けた子供さえも社会から切り離した。
挙句の果てに指摘されると逆切れして刃物で襲い掛かってきたし、ブレーキが壊れたと言って小学生を轢き殺している。
彼らの主張は誰もが年をとるいうが、問題の矛先がまったく違う。
年齢には何の意味もないからだ。
年齢で物事を取り仕切っているのは、自分たちが敬われたいからだ。
そして特権を意識させて富を独占したいからだ。
ここを勘違いしてはダメだから、高齢者も働かせるべきだ。
死ぬまで労働に従事することが必要だ。
それによって自分が悪いことをしても、自分に都合が良くならないと知るだろう。
他人の痛みを知ろうとしない戦後教育のすべてを唾棄し、唆して先行利益を得ていた人種を滅ぼすことが正しい選択だろう。
一刻の猶予もない。

日本政府、または日本国が破綻しないという発想が向かうのは、紙幣をばら撒かない日本銀行総裁を早く解雇しろとの内容になる。
日本経済が破綻しないというのは大きな語弊だ。
日本経済の実体が目減りしている原因を日本銀行に押し付けるのは間違いであるし、それは情報銀行の発足、デジタル通貨の発行、IoT社会の到来があっても変化はない。
彼らのようなMMT理論家と一般的な超国家主義が違うのは、戦争を肯定しない、戦争をお金儲けにしない、戦争を当てにした破壊行為を助長しないだ。
彼らが提唱するMMT理論には火薬の匂いがプンプンするのは、サトシだけではないはずだ。
MMT理論家が提唱する経済理論には大きな欠点があって、軍事費は必要だという主張が盲点になっている。
軍備拡張競争を引き起こすことで軍需産業を儲けさせて、さらに民間の技術を流用しようという考え方には無理があるからだ。
核戦争を出来ないことは間違いないが、それだけではない。
中古車は古くなって乗れなくなっても、そのパーツは単価で売れる。
世界市場のどこかに流用される。
そして兵器も同じでどこに売られるかは分からない。
必要とする国家、軍隊、兵士が買うのだが、自分たちが作った兵器が味方の兵士を殺すことを想定していないのが腑に落ちない。
知っていて黙認をすることが経済というのなら、人類は軍隊も、お金も持たない方が良いだろう。
韓国政府が大衆を騙していることは明白だが、それに釣られている韓国人は一体何だろうか。
バカみたいに働きすぎて正常な判断ができないのだろう。
日本に寄生して生きてきたから後戻りができないし、日本の資本や技術がないと立ち行かないからだ。
結果的に日本経済が衰退する中で、新しい産業や市場を興す必要があっただけのことだ。
日本はそれを拒否し、韓国はあまり喜ばなかったが、中国人は何故か喜んでいる。
韓国人は働いてきた歴史がないのに、働かされて怒っているのだろうか。
中国人はあれだけの人口が居たら養うだけで大変で、選択をしている余地はない。
日本は単純に手に入れたものを出したくないのだが、市場を開拓するという発想が弱すぎる。
そしてオープン市場、オープン開発、技術提携やIoTの意味がよく分かっていないのだろう。
世界中で成功している企業は、すべてが創造的価値から生まれているからだ。
無価値と思われていた何の変哲もない0に対して、錬金を施すことで無が有になる瞬間を理解できないらしい。
その創造に邪魔をすることはよくあるが、ああいう行動はどこから発せられるのだろうか。
戦後の日本人は発達障害者として生きてきたし、障害者の権利を行使しているだけに過ぎない。
若者にハエのように集る精神は、どこで生まれたのだろうか。
戦争で負けたことよりも、戦争に負けたことが正しいと思うことにあるのだ。
そして戦争を否定することで戦争ビジネスに加担し、多くの犠牲者を生みながら繁栄する側に回ったことを良いとしている次第だ。
彼らが唱える戦争反対、憲法改正反対は単純に戦後にできた護憲の精神からくる職業業に過ぎない。
山本太郎がレイプ犯になってしまったが、他人を犯罪者呼ばわりすると揚げ足を取られる。
ネットいじめはしたことの代償に過ぎないからだ。
飯島愛というタレント芸能人がいたが、彼女は女子高生コンクリート事件を依頼した主人公なのだ。
印税で稼いだお金を奪われた挙げ句に、もう自殺をするしか無かった。
猟奇殺人が行われた事件の首謀者として、日本の犯罪史上もっとも陰惨で良心の呵責もない事件だったからだ。
それでも擁護する人間たちに対して、死刑はダメだというのなら数値上の犯罪発生率の減少と事実には因果関係がないだろうと主張したい。
彼らのような移民労働者からピンはねをして、ご飯を食べている連中が主張することが証拠となるだろうか。
死刑を反対にするのではなくて、社会的意義があった犯罪は無罪にする方が良い。
犯罪も効率的な利益を叩き出すことが望ましい。
人を不幸にしておいて死刑執行は犯罪発生率が高くなるから、死刑はしないという理屈は社会を不幸にする事は間違いがない。
死刑をしない代わりに民間人が私刑を加えることが正しいはずだから、法律改正をすることが先決だろう。
日本ではこの件でも裁判員裁判が形骸化していることと、プロの裁判官とは一体何のご利益があるのだろうかと問いたい。
現行の法律が不完全であることを知りつつも、安穏とした環境から出て行きたく無いからと言って、護憲の空気を漂わせている裁判所は社会に不要だろう。
熊谷のペルー人が起こした犯罪は絶対に許されない行為であるし、死刑では生ぬるいから私刑が必要だ。
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