現代社会に見る実績と学位はどちらが必要か 社会はこんなにも偽善に満ちている

イーロン・マスク氏が就職をするのに、学位は要らないと言っている。
学位と実績とどっちが重要だろうか。
比較するまでもない。
学位があっても成功する可能性は低いが、もちろん実績があっても成功するとは限らない。
学位は実績を作れるかは分からないが、実績は過去の延長に成功が乗っかっているからだ。
学位はあっても過去を作れないが、実績は過去というデータから新しいものを作れる。
では実績はどこで作るべきか。
どこでもない。
どこにもない。
自分よりももっと過去の時代にヒントがあって、他人の実績から糸を紡ぐことが必要だ。
存在する場所は今ここにないから、今あるものを大事にしても見つからない。
実績を作るということは働いて稼ぐか、何かを発表して認められるかだろう。
狭い世界で学んで認められただけで成功できるなら、誰でも成功できる。
成功できないのは住む世界が狭いからなのに、そこに注視しないことが悲劇だ。
学位を取るために果たした数々の愚行が、その後の業績に悪影響を及ぼす可能性がある。
学位そのものが危険なのではなくて、その学位を取得するために使用した手段に問題があるのだ。
日本企業の失敗というのは御存知の通りに大量生産と、安売りのゴリ押しだった。
内外に関わらずゴリ押しをしたために、そのワンパターンさが不快感を生んで反撃を受けた。
学位をとって成功できるなら誰もが取るだろうが、学位と成功がワンセットになっていないことは誰の目にも明らかだ。
学位を取る行為がそのまま義務になっているし、取れるように助力が出来るからだ。
取ったのではなくて取らせたと見ることだ。
学位が必要というのは新卒採用と同じ考えになるし、片方は品行方正さと詰め込み学習を必要とし、もう一方は模擬トレーニングとレポート作成能力が磨けるだけで実績には繋がらない。
実績が欲しいならばこのネット上で可能だからだ。
学力も要らないし、経験も不要だし、知識もいらない、そう何も要らない。
今ここに必要なものを書いて知らせてくれたら、それが実績になるからだ。
ただそれを知っても、見ても、考えても、なにそれ?となったら書いても意味がない。
画期的なものを書いた後にそれを見た人たちがリレーションをすることで、あらゆるものに繋がっていくからだ。
1つの可能性を秘めた成功をビッグビジネスに繋げるかどうかは、すべての関係者の理解と協力によるところが大きい。
最近のマスクはサイバートラックのデザインで脚光を浴びていることと、Tesla車の自動運転を利用すると購入代金が戻ってくるというキャッチフレーズで持て囃されている。
レゴに見立てたデザインだろうか。
それともサイバー空間上でトラックを運転でもするのだろうか。
このようにTVとネット、学位と実績というように相反する勢力に常に分かれるのだが、その分岐点に介在するどちらでもない部分に注目をすることが肝心だ。
そこで勝負が決まるからだ。
学位と実績をどちらが良いかというのも、結果的に学位を重視しすぎて失敗したからだ。
多くの人たちが学位を持っているのに実績が乏しく、実績がある人達を締め出したからだろう。
このように民主化を進めると何のための多数決なのかが不明になってくるし、民主化と多数決の有意義な点が悪い意味に利用されることに気づいていない。
人間が食料として供物に捧げられていた時代では、多数決の意義はブロイラーの自己主張でしか無かったのだ。
そのブロイラーの自己主張を逆手に取って生産性を高めることで、もっと美味しいものを食べられるようになったの現代だ。
しかしブロイラーであった人間が逆に大量の食料を欲しがると、逆の逆の逆が起きてしまう。
民主化や多数決は最適に制御しないと、間違った方向に人間は暴走するだろう。
東京一極集中を見ると分かるとおりであるし、人間自らが自制できる代物ではない。
前例に倣う、自分も欲しがる、過去を踏襲する、慣行を見習う、犯罪でも悪いことでもパンを欲しがるために真似をするのが人間だ。
そこにあるものの善悪には関係なく本能のままに思考して、間違った方向に突き進んでいく。
自制できる人間社会を作るにはデータが必要であるし、人間を滅ぼせない現代では必要不可欠である。
リストラを回避したい、技術移転を拒否する、倒産を必死で食い止める、今の地位にしがみつく、与えられた義務に盲目的に従うといった愚行を犯し続けてきた。
戦争を出来ない現代では平和憲法は日本社会に負の遺産を残しているし、その吟味も出来ないままに操られた人形のように同じ議論を何度も繰り返す。
この繰り返していくことを仕事と呼んで報酬が支払われるが、繰り返すことを仕事としているから日本は生産性が低いのだ。
繰り返さないことが高い生産性を完成させるし、その中で育まれた環境設定では仕事が能動化するはずだ。
人間が食料にならない時代では、逆に人間が食料になることを助長してしまう。
反作用が必要だ。
人間が繁栄してきたのは集団組織社会を築くことによって、人事、生産、労働、消費、生活、政治を束ねてきたからだ。
その継続が可能となったのは戦争という便利なものが存在したことと、奴隷社会の併存があったからである。
でも今はもうない。
都合の良い便利な事実は発生しない。
ここに介在する仲介手数料を欲しがる人間たちが悪の権化であって、成功者たちにくっついて離れない。
不動産所有で稼いでいる連中に多いはずだ。
賃料を維持するために良からぬ商売に加担して、そのお金で働かずに生活をしている。
タンス預金者の徹底した排除をするのならば、老朽化し不動産で高い賃料を得ているクズを取り締まることだ。
日本人は設備投資をしないで費用を他人にだけ課す。
これが経済が循環しない理由だ。
コストを払わないで他人に課して、さらに老朽化した物件や設備で荒稼ぎを目論む人間が多い。
特に老人に多い。
老人は小学生や幼稚園生を事故に見せかけて轢き殺し、多くの子どもたちからも払うべきコストを逆に支払わせている。
透析患者に税金で払う必要はないし、高齢者の医療費を無料にする必要はない。
民主化が果たしたシルバー世代のみに許された特権は、こうして経済の循環を詰まらせている。
お金を払わないで他人に支払わせることが、果たして民主化が望んだ社会なのか。
老人の特権は在日や部落の特権よりも著しく不都合であり、彼らのような戦後に生まれた特権階級たちに無駄な飯を食わせるゆとりはない。
日本の老人たちを養うのならば、敵国の貧乏人を富ませるべきだ。
斬り捨てる必要があるのは、まず老人だ。
老人を働かせることが正しい世の中のあり方だ。
学位と実績とどちらが重要であるかは、こうして証明された。
働かないおじさんではない。
若者を食い物にしている老人たちを粛清することが必要であり、今日本人に必要なのはお金ではない。
実績のある人達を目標に掲げて、お金を浪費して食い潰した連中に天誅を与えることが正しい。
日本人たちは資産を独占して食い潰しているシルバー世代に甘い顔をする必要はないし、在日特権を持ち出す必要もない。
これでは政治的な社会問題が露呈しない。
日本人の敵は在日ではない。
お金持ちでもない。
老人だ。
老人からあらゆる権利を取り戻す活動をすることが、真に正しい自由を取り戻すことに繋がる。
古い不動産を転がして高い賃料を騙し取り、あらゆるビジネスに転用してさらに稼ぐ老人たちは社会のダニだ。
昨日も小学生が老人に轢かれて重傷になった。
あのゲームニート殺しの元事務次官は控訴をして、息子殺しで執行猶予をもらおうと画策している。
伊藤詩織を応援することは、あらゆる意味でシルバー世代への賛美に繋がる。
若者が若者を売る時代だからだ。
リベラルという世代は自由のはずなのに、その自由の権利を他人から奪ってシルバー世代に寄生してご褒美を貰っている守銭奴だ。
センテンス1つで物事は逆転する。
たった1つの単語で世界は生まれ変わる。
学位が必要な時代に学校で学ばないことが、本当の教育である。
何故なら学校には学位を取るノウハウはあるが、実績を積むノウハウはないからだ。
世の中の超大富豪は学校を中退している人たちが多く、創業家は無学が多い。
一般的に世の中に知られているよりも事実は間違いが多く、人間は過去と人数とルールに束縛されて前を見えないことが多い。
除夜の鐘を鳴らさないようにしようとの意見が出ているが、致し方ないのかも知れない。
鳴らすべきだと唱える事は可能だが、鳴らす必要が絶対に正しいとは言い切れないからだ。
除夜の鐘をサイバー空間から一人で楽しむ時代なのだろう。
騒音は何故ダメなのか。
拒否する人がいるからであるし、正当な主張がそこにあるからだ。
静かであることに対してエゴはないのだ。
静かにできない人たちがエゴをむき出しにしてきたから、今も争いが絶えないのだ。
日本の東西を見聞してみて思ったことと、東と西のルール、そして仕事のやり方、考え方を見ていると分かることがある。
悪い噂が立っている西側の方が仕事がやりやすい、温かい、物分りが良い、他人を受け入れるなどの面がある。
それに対して東側は一見して筋が通っている理屈が多いが、冷たい、イジメが多い、よそ者を邪険にする、秘密主義などとネガティブな面が多い。
自由と正義が逆になっていることが、日本でも世界でも通用する共通の認識ではないだろうか。
蓋を開けてみたら真実は違った。
それだったら主張していること、歯に衣を着せていること、歯が浮いたような褒め言葉も何もかもが偽善、演技、奸計ではないのか。
要するに騙し打ちにする手立てを講じているのだ。
最初の事実が途中で入れ替わる過程では、より巨大なものがその奸計に楔を打っている。
したがって事実を求めることは森羅万象を解くに等しい能力が必要になるから、それは計算では解けないのだ。
解けるとしたら1つだけあるが、点と点の繋がりが伸びていく先の方向を推測するしか無いだろう。
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