イノベーションは人間の闇にある希少価値 富はあらゆる人間を巻き込んで改革する創造的な価値

漫画の連載と同じ感覚だ。
ネタを探さないといけない。
誰も助けてくはくれない。
自分の頭のどこに格納したか分からない何かを探してきて、鍵が合うかを手探りで当て嵌めていく作業みたいなものだ。
これは勝手に自作自演しても認められない。
面白い、学びになった、その展開は読めなかった、その切り返しはユニークだなどという奇想天外でありながらも、多くの人のハートを掴める内容に繋げないと意味がないからだ。
最近のサトシは2度のペースでBlogを更新しているが、かなりキツイ作業だ。
世界中の権力者、ビジネス、全産業を空想しながら、適切なキーワードを当て嵌めてパズルを完成させる作業だからだ。
得をする人、損をする人、肯定する人、反論する人、ヒントを得る人などがいるが、世界中を一括で纏める意見の集合のようなものを完成させないと仕事にならない。
全員が成功することはないが、いつも同じ人が損をすることもない。
腹の立つ人間を気にしても意味がないが、放置はできないと同時に目的のためには利用することも最善である場合もある。
物事は相対的ではあるが対象が一人とは限らないので、常に不確実性が伴う。
あり得ない人間関係、どこにヒントが隠れているかも分からず、目の前や近くにいる人間にはヒントがない場合が多い。
その人間関係の遥か遠くの向こう側に、探しているものが多くある。
しかし難易度は高くないのに対して、繋がりが少ないことが災いして近くづくことが出来ない。
敵対同士であると尚更に近づくことは不可能だ。
遠い方が接点になるヒント、技術、メリットが多いが、その関係を結ぶには困難の極める文化の違い、背景、歴史などの対立が多い場合がある。
それが面倒くさくて、イノベーションが起こりにくいのかも知れない。
人間はすべてが違う生き物であって、同じ意見を持っていない。
自分と同じであることを他人に強要することが、本来は間違っている。
違ってて良いのだ。
違うことを反対するからブルドーザーで荒れ地を均して、人間関係さえも平坦にしてしまう。
ということで世界中の動向を何かに照らし合わせて、その先の展開を読みながら予測して書いていくことが連載だろう。
その連載を毎日続けるのは至難の業だ。
しかしサトシは敗北したことがないし、延々と継続してきた。

ISO56000を制定して強制ではないが、大企業の資格要件として設定するのは非常に有意義な制度だろう。
大企業がイノベーションに挑戦しているかを、明確に策定する制度だ。
発明をしないでアイディアを盗んできて、製造工程の大規模化や安売り販売を活かして大量生産に結びつける方法が過去のイノベーションだった。
国土が小さいのに考えていることは、時代遅れの大艦巨砲主義だった。
イノベーションをしようとしたけど、上手く行かなかった。
モノを大量に作って安く販売して、コストを下げる方法がビジネスモデルだったからだ。
この成功神話に嵌った結果、あらゆる良識を否定しだした。
大量生産が必須となると雇用、就業、条件、賃金、配置までが固定化されていき、それに合わない価値観は創造の範囲を超える理由で排除されていった。
そこに終身雇用問題と年功序列が噛み合ってしまったから、人間関係までが大量生産でマニュアル化した。
揉め事を起こさないといっぱい人材が集まるから、否定、挑戦、反転、跳躍、反論はタブーになった。
会議も、ミーティングも、交渉も、すべてが談合化して水面下の見えないところで進められた。
どんどん秘密主義に走っていき、誰も知らないところであり得ない理由が決定打になっていった。
大量生産と安売りは人間性を極端に歪めて、階級社会が官僚化する。
この官僚化は密告、陰謀、策略を生み出して集団で弱者をイジメる環境を作りやすくなる。
しかし制度や敢行のせいで現在が起きている訳ではなくて、単純に面倒くさいことを嫌がったからだ。
今ある賛成派と反対派の動きも素直な賛成派に対して、反抗的で失敗を何度も繰り返す反対派の構図ができている。
こういった延々と話が噛み合わない問題を、人間はずっと避けてきたから制度やルールが硬直化したのだ。
反対派という存在を許していたら、日本はすべてが崩壊するだろう。
国家は強行を発動して総動員で反対派を取り締まり、断固とした態度で蹴散らすことが必要だ。
それがイノベーションを簡単に起こす方法だ。
会社組織、政府組織、外部業者に依頼して改革をさせても絶対に成功しないのは、民主主義を盾にとって人権を権利としている連中を排除できないからだ。
革命に犠牲はつきものになる。
犠牲になるのはいつも反対派か、反対派の関係者だ。
今後の方針としては頑なに否定してイノベーションを遅らせ、創造的な価値を育まなかった場合は強権的なペナルティが発動される。

社内から適当に昇進させたSIerをCIOにしても、多くの意味で成果は出ない。
まずSIerそのものが内部からの昇進であるから、社内に合わせた業務しか出来ない。
今まで行ってきた職業人生の中でしか物事を見えないし、人事的にも足枷が多くてイノベーションは起こせない。
つまり出来ない人を昇進させてもザルに水になってしまい、逆効果になるのだ。
よくトップダウンはダメというが、確かにダメだろう。
命令することがダメというのは、指示をしないと分からないからだ。
指示をしなくても、命令をしなくても理解をしていて、いつでもイノベーションの準備をしている状態が望ましい。
要するに同じように情報を取得していて、分析や予測も共通点があることが望ましいからだ。
そういった知見を得るには感じることが必要になってくる。
無理矢理に命令されても苦しくなるから、同じような考え方を自分で出来ないと何事にも大成しないだろう。
必要な本を読む、資料に目を通す、予測を出来るようにニュースを分析する、会話レベルから推測を得る、業務データの不備を見て改革プランを作れるなどの従来の仕事とは別に働く必要が出てくる。
そうすると本業をしながら上記の業務をして、さらに実装を計画して実行をするのは厳しいはずだ。
だから専門特化しながらも指揮命令出来る立場を作り、外部との連携を重視する役職が必要になる。
内部の不正、仕事の遅れ、固定された人事、古い技術の刷新、無駄な資源の撤廃、組織の空気を入れ替える働きが重要になっている。
コードを書き、設計をし、システム・インテグレーターになるまでの過程に問題がある。
本当にリーダーになるための資質があるのか?
内部での昇進は職場事情を踏まえての配置が多いから、見て見ぬ振りを出来る人間が昇進をする。
慣れた仕事を確保して、他人には何も触らせない。
責任が取れないから仕事をさせない、ランク分けする、カテゴリーに振り分けるのは理解できるが、その方向性が間違っていて気づかない事がある。
さらに外部から指摘されても過去の柵から察してしまい、争いをしない方向に人事を纏めてしまう。
最初に書いた人間関係のトラブルを回避するためと、終身雇用が神話化しているからだ。
トラブルを回避することが仕事が出来ると勘違いし、憲法を改正しないという愚挙からも覗い知れるだろう。
イノベーションなどの改善や改革を超えたスケールの革命は、その人間関係の無駄を解消することにある。
人間関係が複雑に絡み合って何も言えない職場に対して、思いっきり分断をすることで組織を刷新できる。
こういった知見を得るには命令しても出来ないから、同じように感じられる人が最適な人事になる。
ネット掲示板SNS、Blogを設けても書き込まれている内容は、自分はどうなのレベルだ。
要するに批判している人間が改革やイノベーションを出来ないのに、嫌いだから、選ばれなかったから、金銭的に損したなどの個人的な憎悪で判断をしているところが痛い。
自分は実績がこの数字だから、彼の言動やプランは間違っていると言うなら分かる。
そんな人間が居るなら会社は傾いていない。
サトシはITや経営のプロではない。
イノベーションのプロではあるが、業務内容が違うと言って良いだろう。
出来るはずなのに業務レベルで物事に壁を作っている人たちの間違いを、きちんと見抜けるスキルが必要かもしれない。
そのためには成功体験が必要になってくるから、実績があることが大前提になる。
1匹オオカミであることが重要だ。
他人との接触が多いと、それだけ軋轢を生じて考え方にズレができるからだ。
普通に生きている人たちはネットワーク社会への意識が、非常に少ないというか重要視していない。
目の前にある人たちにクローズアップし、同じような間違いを犯している人たちで傷を舐めあっている。
内向きだから失敗を続けても、それを肯定するしか無いのだろう。
同じ志を抱いて上昇志向をすることが必要だ。
叩き潰すことが新しい命を育む。
新しい命を育むには破壊が必要だ。
破壊をするには物理的なイノベーションとは限らない。
思想的、心理的、人間関係、あるはずという錯覚、今の数字と将来の数字を見えた時はすぐに準備に取り掛かるべきだ。
CIOという職業はあらゆる職場の階級を飛び越えて、業務改革をする権限を与えるべきだ。

レガシーマーケット・イノベーション(LMI)なる思考の説明だ。
これも今まで書いてきた内容と重複するが、今度は古い市場と技術についての改革プランの築き方が書いてある。
子供の頃から争ってはダメと教えられて、笑っていることが正しいとされてきた。
その教えの中で人と争うとペナルティが設けられてきた。
人と争うと大量生産と安売り販売に支障を来すからだ。
では大量生産と安売りをするために築いた背景そのものが、すべて古くなって社会に受容されないレベルになったらどうするのか。
戦争ビジネスは悪ではない。
必要な社会への手術だ。
医者は必要と言われるのは、病気を治療してくれるからだ。
イノベーターは社会の病巣を取り除き、正常に機能させてくれる。
そして企業改革、技術改革、政治改革を推進して、あらゆる社会改革を可能とする。
社会課題への取り組みが早いから、あらゆる専門家を超越して問題を解決できる。
問題を知っているから解決も早い。
それは途中の経過を推測する能力が高いからだ。
イノベーターはAIと同じと見ても良い。
何も知らない人が手探りで物事に疑問を感じて、その解決を図る過程に真実があるからだ。
知っている人はイノベーションが起こしにくい。
知らない人は直接的に物事に取り掛かる熱意がある。
外部からの意見を受け入れいる姿勢こそが、他人と争わない思想である。
内部事情を勘案して争わないというのは、身動きが取れないだけだ。
外部からの侵入を受けれいてこそ問題解決が早まる。
争わない姿勢が臨戦態勢になっていることに気づかず、外部からの見えない戦いを引き起こしている要因だ。
自分たちがならず者なのにあいつがならず者と言っていることが、すべてにおいて間違いだ。
その場合は外部からならず者がやってきて、問題を処理していく。
必ず実行を移す人間が必要になるからだ。
計画段階でも非合法な取り決めがなされるだろう。
これまでにも何回も指摘しているが、イノベーションを起こす人間は数が限られている。
人間を1つの対象にしないで全体的に俯瞰する力を持って、社会全体をイメージしながら改革できる人が必要になる。
人間は頭の中で刃物で斬り合いをしているし、イメージの中で人を殺しているからだ。
思考の中の殺人は法的には許されるが、それは人殺しなのだ。
人間の思考をイメージとして作られた社会を改革するには、当然に人殺しが実装される。
人間が人殺しをイメージしないで社会改革は進まない。
人間は心の中で他人を殺し、傷つけ、レイプし、中傷し、いつでも覆そうとしているからだ。
その人間の根本を隠して社会を法律で良いイメージに変えても、今度は改革を否定することを主要にして、イメージの中で人を殺しまくるだろう。
人は人を殺すことでイノベーションを起こしているし、人殺しが破壊と創造をするのに適している。
イメージを実際に起こして人殺しをしたら、必ず刑務所ゆきになる。
しかしイメージをイノベーションに変えたら素晴らしい人生を送れるのに、それが実現しない。
何故だろうか。
イノベーションは殺人に近い概念だから、社会規範に当て嵌まらないとして排除されているからだ。
殺人をするイメージが正しい、または必然としている中で、イノベーションを出来ないのであったら社会改革は悪い方向にしか進まない。
殺人の件数と社会的なイノベーションに相関関係が実証されたら、サトシの説は正しいとなるだろう。
その上で必要なことは量子コンピュータを、どこからアルゴリズム化するのかだろう。
意外に身近なところにヒントがるものだ。
エビデンスを待っていたら地球は滅んでいるだろう。
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